自分を愛おしく思える『インサイドヘッド2』
昨日は母と姉と、『インサイドヘッド2』を見に行った。
映画館に足を運ぶのは久しぶりだ。
そもそも映画を見る習慣がないから、映画館に行くこと自体、片手で数えられるほどしかない。
19:05からの上映は、お客さんもまばら。空調もほどよくて、なんだかとてもゆったりした気分だった。
ポップコーンとゼロコーラを片手に映画を見る。
それだけで、ヨロコビのテンションが上がっていたかもしれない。
『インサイドヘッド2』は、姉がお客さんに教えてもらい、気になっていた映画だ。
「頭の中のいろんな感情が、最初はやいのやいの言って喧嘩してるんだけど、最後はみんなで団結する映画」と教えてもらったらしい。
それを聞いたわたしは『脳内ポイズンベリー』を思い出していた。(見てはないけど。)
検索してみると、並べて考察しているブログがかなりでてきた。やっぱりコンセプトが似ているらしい。
『脳内ポイズンベリー』の脳内に出てくるのは、理性、ネガティブ、衝動、ポジティブ、記憶。主人公は30歳の大人。
一方『インサイド・ヘッド』に出てくるのは、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ。主人公は11歳の女の子だ。
そして『インサイド・ヘッド2』では主人公が13歳となった姿が描かれる。思春期の感情として加わったのは、シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシの4つ。
個人的には、『インサイド・ヘッド』に出てくるのが原初的な感情で、それらが発端となって生まれるのが『脳内ポイズンベリー』にでてくる大人の思考かな?と思う。
映画を見た帰り道、「『インサイド・ヘッド』の1も気になるね」と、話しながら帰ってきた。
思春期の感情が登場する前の5つの感情が人のデフォルトの感情ってことなのかなぁと。
映画の2が始まる前は、テレビで1が放映されることが多い。もしかしたらやっていたのかも…。と、『土曜プレミアム』を自動録画にしているわたしは、帰ってきて録画リストを確認してみた。
そしたら、あったのだ!!
そのまま3人で見てしまった。わが家は昨日、『インサイド・ヘッド』2本立てだったのである。
『インサイド・ヘッド(1)』を見ると、よりわかりやすい。
主人公のライリーが赤ちゃんのところからはじまり、最初に登場するのがヨロコビだ。
きっと、誰もがそうなんじゃないかと思う。
「人は母親のお腹の中にいるとき、完全に満たされた状態にいる」ということから考えても、ヒトはヨロコビで満ち足りた状態からはじまるのだろう。
母親の中にいれば、カナシミとは無縁だ。イカリも、ムカムカすることも必要ない。完全に守られているから、ビビリなんて感情が生まれるはずもない。
母親の中から外に出てきてからが、人生のサバイバルだ。
ヨロコビで満たされていない状態を取り戻そうとする過程で、さまざまな感情が生まれていく。
だけど、母親のお腹の中に戻ることはできない。それはつまり、完全にヨロコビだけで満たされた状態になることは、もう二度とないことを意味する。
それを知り、良い意味で諦め、あらゆる感情の存在を認め、上手に付き合っていくことが、人生ということなのだろう。
「イメージしていたよりもリアル」
それが『インサイド・ヘッド』の感想だ。
子供に見せておくべき映画だろうなと思う。深いところまで分からなくても、意識の片隅に置いておけばきっと役に立つ。
保存庫に記憶しておけば、感情が誤作動を起こしたとき、自分を客観視するヒントになるだろう。
もちろん、感情をこじらせた大人にもおすすめだ。
思考の成り立ちにどんな感情が関わっているかを知ることで、自分がわかるようになると思う。
『インサイド・ヘッド』ではヨロコビが主導権を握る。だけどわたしの場合は、ダリィな気がするし、姉はカナシミかもと言っていた。
キャラクターを自分に当てはめて考えてみると、自分が愛おしくも見えてくる。