「説明できないけど好き」という感覚
読売新聞の『人生案内』はわたしのバイブル。
10日分ほど読まない新聞が溜まってくると、1面と『人生案内』だけをチェックする。
11月29日の『人生案内』には、「女児妊娠に夫が浮かれすぎ」というタイトルの投稿があった。
第1子は男の子で、第2子が待望の女の子だと分かった瞬間、夫は飛び跳ねて喜び、歓喜の舞を踊り出したという。
そして、毎日のようにお腹に向かって赤ちゃん言葉で話しかける夫にドン引きしているのが妻だ。
そういうものなのだろうか?
確かにひいちゃう気もするけど、やっぱり、そんなに喜んでくれたらうれしいんじゃないか。
それに、興味のなさそうな夫よりはよほどいいんじゃないの?と思うけど、何事もちょうどいい塩梅というものがあるのかもしれない。
この投稿の回答者はタレントのパトリック・ハーランさんで、「親愛なるママ!僕、耳が痛いです!」という言葉から始まった。笑
まさに自分がそうだったと。
そんなにうざいのかと反省しつつ、「夫の反応も度を過ぎると妻のストレスですよね。」と続いた。
ただ、「なんでそうなの?」と聞かれても「チョコがなぜ好きなのか」と同じくらい、説明できないことなのだ。と‥‥!!
説明できないけど好き。
夫(父親)の子供への愛情って、そういう感じか!と思った。
ここで、わが父を想像してみる。
父は、姉が生まれたとき、出張先から新幹線で”ちゃんと”駆け付けたし、「美人だと思った」と感想を述べている。わたしが生まれたときも、”ちゃんと”病院に来たという話を聞いている。
リアルタイムの反応がどうだったのかはわたしにはわからないけど、ただ、飛び跳ねて歓喜の舞を踊り出すような人ではないことだけは確かだ。
もちろん、踊らなくてもいいわけで、じ~んと感動したり、密かに父親になる決意を新たにしたりと、わが子誕生のときの喜び方は人それぞれだろう。
じゃあ、父はそのとき何を思ったのか。
おそらく、何かしらの感情の動きはあったはずだ。
無感情ではなかっただろう。
そしてそれは、ネガティブな感情でもなかったと思う。
おそらく喜んではいた。
ただ、「説明できないけど好き」のようなものとは違う気がする。
ああ。また勝手に決めつけると怒り出しそうだけど、どうせこの記事を読むことはないからいっか。
だけど、「説明できないけど好き」みたいな気持ちがあったとしたなら、今のような状況にはならなかったんじゃないかと思う。仮面家族にも、家族が崩壊寸前になることも。
いいなあ。
説明できないけど好き。って感覚。