こだわりが強いという特性
読売新聞の『人生案内』に、知的障害と発達障害のある娘の「こだわり」について相談が寄せられていた。
「こだわり」が強いのは娘さんの特徴で、携帯電話に依存し、SNSで知り合った見知らぬ男性と繋がり性的な関係も複数あるという。ホストクラブやボーイズバーにも興味があり、とめることができないそうだ。
「こだわりが強い」という特徴があるかぎり、SNS依存や男性依存からも逃れられないのか‥‥?
回答者の最相葉月さんは、「そもそもスマホを利用するお金やホストクラブに行くお金はどうしているのか。ホストクラブに通うために売春などしてはいないだろうか。」とさまざまな可能性を並べ
と答えた。
そうだよな。
「こだわりが強い」という特性を受け入れることと、「こだわる内容」をすべて許容することは違う。
ましてや、無自覚に自分の体を傷つけているのだとしたら、手をこまねいている場合ではない。
知的障害や発達障害だというフィルターが、視野を狭くさせてしまうのかもしれないと思った。
さて、わが父は、アスペルガーであり自己愛性人格障害である。
診断はされていないけど、間違いない。
で、「こだわり」が強い。
父がアスペルガー症候群だと知らなかったわたしたちは、長いこと噛み合うはずもない父と向き合ってきたし、そのこだわりに振り回されてきた。
向き合ったからこそ、父がアスペルガーであることや、人格障害であることがわかったとも言えるけど、もっと早くわかっていたら‥‥とも思う。
とはいえ、じゃあ父がアスペルガー症候群だと、自己愛性パーソナリティ障害だと、早い段階でわかっていたらどうだろう?
「こだわりが強い」という特性を、わたしはどう理解し受け入れたのだろう。
そう考えてみると、もしかしたら、「アスペルガー症候群」と知っていたほうがもっと複雑で厄介な状況に陥ったかもしれない。と思えた。
おそらく、「そういう特性があるんだから仕方がない」と、嫌なことでも我慢して受け入れるだろう。共感性がない父に対して、共感力高めなのが女3人の特性だ。
そして、偏りがあるからどうしても「アスペルガーの父」をフラットな視点で見ることができなくなる。そうすると、苦しいのに我慢して被害者意識に陥るなど、変なところで深みにハマる。
もちろん、アスペルガーについての知識を得ようとするぶん、何かは違ったかもしれないけど、そう大きくは変わらないだろう。
むしろ「アスペルガーなんだから」という前置きがあるだけ複雑化した気がする。私達の心が。
だけど、これが父が子供のときにわかっていたなら。親が気づいていたなら。現状には大きな違いがあっただろう。
そもそも母と父は結婚していなかったかもしれないし、わたしも姉も、この世に生まれていなかったかもしれない。
でも父のことを思えば、そのほうがよっぽどよかった。
祖父母が父と真剣に向き合ってくれていたなら、わたしたちは父のもとに生まれてくる必要もなかったのだろう。
昨日たまたま、録画リストの中に『ミステリと言う勿れ』を見つけて視た。
その中で、久能整が繰り返し語っていたのが
という話。
いかに子供時代が大事であるか。
いかに親が、子供が子供のうちに、真剣に向き合うことが大事であるか。
いかに早く、心の傷に気づくことが大事であるか。
セメントが固まりきった後には、もう優しく慣らすことはできない。
ハンマーでたたき割るしかない。
それは、割る側も割られる側も、大きな衝撃と痛みを伴う。
子供時代が勝負なのだ。