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思い出は機械では創られない

幼い日の記憶

私が七歳の時、私は母の背中に乗せられ、セミをとりにいった。夏休みの頃だ。まだ「びーびー」とセミが鳴く盛りであった。ツクツクボウシにはまだ、なっていなかった。

おそらく、私の子供時代で最も幸福な頃であった。次第に母親はおかしくなっていった。隠れて、お酒を飲むようになった。

私は幼いながら「あれは本当のお母さんじゃない」「別の人だ」と思っていた。それは夜だけの出来事であった。小さいながら辛かった。ここでは書けないけれど、虐待もされた。

次第に、朝からおかしくなる日も現れた。その頃はもう小学3、4年生であった。

中学に入る頃、母親は精神科に入院した。その頃まで、家が小さかったので、私は母の部屋で寝かされていた。毎晩、悪態を吐かれた。何も悪いことをしていないのに、叩かれた。

父親は、いってはいけないけれど、学歴のない人だ。そんな父親が、母親を精神科に入院させたのだから、余程だったのだと思う。

中学に入って

私は優等生だった。けれども、顔のことでいじめられ、帰ると母親は酔っ払い、父親が母親を殴っていた。帰る場所がなかった。たまたまその頃、私は祖母と一緒に叔母の家に預けられた。

おじいちゃん。叔父の事だが、とても私を可愛がってくれた。叔母も、息子のように、私を見てくれた。久々の幸せだった。けれども、その頃から、私もおかしくなり始めた。

成績が下がり始め、悪い友達と遊ぶようになった。優等生から、問題児になってしまった。けれども、そこが私の居場所だった。そうして、みんなで同じ高校に入った。

母親もお酒を飲まなくなった。また、人生が夏休みのようになった。それも長くは続かなかった。17歳になった頃、私は統合失調症になった。その前から、おかしかったけれど、本格的に病気が現れた。そうして、進路も決まらず浪人。

大学には入れたけれど、抗精神病薬が強すぎて、授業を聞けずに留年。そうして不登校になる中、母親がまたお酒を飲み始めた。ちょうどその頃、私は自殺を図った。

救急車で運ばれて、近所の人たち、母親もみんなやってきた。「情けなくて」「理由もわからずに」「ごめん」と言った。とにかく辛かった。そうして、生き延びてしまった。けれども、もう私は大学で学べる状態ではなかった。

その後、中退し一転二転して、今にいたる。ここの話は、また別にしようと思う。明日も仕事だし、もうすぐご飯ができるから、この辺にしておきたいのだ。

時には遠回りをする

私の人生は、回り道であった。ぐるぐる、あちこちへと巡った。いろんな人に会ってきた。いろいろな話を聴いてきた。沢山の本を読んできた。そうして、結婚した。

絶望のさなかから、私は今働いている。といってもA型事業所での事だ。最低限の生活で生きている。それでも、また私は学べるようになった。そうして、書くという私の最もしたいことに、出会うことができた。私は今年36歳になります。

随分遠回りをしてきました。人間失格も読みました。太宰のように、荒れた青春時代を過ごしました。けれども、太宰のように、本を書いて、自害をすることは、ありませんでした。

彼も真剣だったのかもしれない。彼にとっては、言葉にすることが死ぬほど辛いことを、書いて、入水したのかもしれない。今ではそう思うのである。おそらく、彼は申し訳ないとは思っていなかったのだと思う。

あれほど自身の、所業を滑稽に表現する。そこには涙の筆の力があったのだと思う。涙は人の運命を引き裂くことがある。あの日私が理由がわからずに叫んだ「ごめん」という言葉。そこにどのような意味があるのか、今も判らない。

けれども、あの日を境に私は、まともになっていった。崩れた心が、再び再構築されはじめた。

第二の人生

私は一度死んだのだ。発作で苦しむ中、私はベンゾジアゼピンを注射された。あれは恐らく、ベンゾジアゼピンだ。それから直ぐに、私は眠りに入った。久しぶりに、いい朝を迎えた。

看護婦さんは、私の顔を見て涙ぐんでいた。いかに私が愚かなことをしたのか、心底反省した。それから、大学の友だちに、病気になったからしばらく会えないと話した。それが最後の会話になった。

私は大学をやめた。そうして、派遣社員として働いた。沢山辛いことがあった。転々とした日々だった。どこに行っても、長続きしなかった。働いてない頃もあった。

そうして、父母共に歳をとっていった。そうすると、次は父親がおかしくなった。私は父親にドライバで刺されそうになった。もちろん価値観の違い、学のない父、自己流で学んできた私の間には、大きな開きがあった。それで、トラブルになったのだと思う。

「誰も悪くない」「ただ環境がいけなかった」「運がなかったのだ」私は父も母も恨んでない。こうして、いまがあることを感謝している。それまでには長い、地獄があった。けれども、遠回りをしても、人はいつか、その運命を懸命に生きるならば、たどり着く場所はあるのだとわかった。

皆さんにとっても、同じだと思う。人生無駄なことなどないのだ。一度きりだ。私のように、そのろうそくの火を自ら消そうなどとは、絶対にしないでほしい。

もう、誰も悲しませたくない。だから、毎日を元気に生きていきます。では^^


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