目的をとり間違えたくない
友達と久々に会うと、価値観が変わっていて驚く。
自分の価値観が。
昔は、将来への大きな不安があった。
子どもを産んで育てるにはいくらお金が必要で、老後生きていくにはいくらお金がいるのか。
子どもができたら今の生活じゃ、やっていけない。
子どもを育てながら働けるのか。
ずっと考えているような焦燥感。
久々に話をして、今、私は自分の将来全然考えてないなと笑えてくる。
10年以上前の私は、子どもは何人も産んでいて、幸せの結婚をしているつもりだった。
今、全然予定通りじゃない。
そうを考えてるときも幸せじゃなかった。
幸せの結婚はしてないけど、
今の生活は幸せ。
今、働きながら子育てしてる。
そして、私が思っていたよりもたくさん助けてくれる人がいる。
お金はツールのはずなのに、気を抜くといつも目的になってしまうから。
どう生きるために、どうお金を使うのか、そのためにどう稼ぐのか。
目的をとり間違えたくない。
しかし、理系クラスで仲良くなった理系大学を出た友は、税務の仕事に行き。
同じく理系大学を出た私はカウンセリング業をしていて。
あんなにお互い理解できない!という感じで分けられていた文系理系の意義とはと疑問が浮かぶ。
なんと視野の狭くなっていたことか。
以前読んだ本の「理系が得意なら大学は文系に行け。と父親に言われた」という内容が思い浮かぶ。
得意なことは自分でできるけど、苦手のことは難しいからと。
社会にでたら理系も文系もない。
私立の先生たちのメンツに巻き込まれた私たちの受験戦争。
自分がどう生きたいのか。
受験もお金もそのためのツール。
目的をもう取り違えない。