「不登校なのに」という言葉の違和感
こんにちは。
ココロミル学院です。
今年度の中学受験において、小学校に行けていない状態から、全てのお子様が志望度の高い学校へと入学する事ができました。
夏頃からの結果として、とても良い結果になったと思っています。
そんな時に周囲の人によく言われるのが
「不登校なのにすごい」
「不登校なのにえらい」
という声です。
なぜ、不登校だと勉強が出来ない前提なのか?
なぜ、不登校だと受験が出来ない前提なのか?
これを言っている人達は、褒める気持ちで言ってくれているのは理解できます。
ただ、だからこそ多くの人に無意識に「不登校」に対するレッテルがあるのだなと
改めて感じました。
「不登校」というのは、現在の”状態”を表現した言葉で
お子様自身を表現した言葉ではありません。
それなのに、不登校という一括りで語られてしまうケースがあまりに多いと感じています。
今の状態よりも、ココロが大切なのでは?
不登校の支援に関わっていると
様々な相談を通じて、色々な環境の話を聞くことがあります。
本当に素晴らしい環境が多く、参考にさせていただいています。
ただ、もう少しココロを大切にしたら?と思うケースもあります。
どれくらい不登校なのか?
今はどの段階で、いつごろ復学を目指すのか?
上記のような計画を立てること自体は良いと思いますが、
そこにお子様のココロが入っているのかは、疑問に思ってしまいます。
復学と進学についてはこちらをご参照ください。
本来の目的
僕はこうして、不登校支援を行っています。
不登校の方に向けたブログも書いています。
ただ、これは現状困っている人に届けば良いなと思って、発信しているだけであり
不登校だから〇〇といったレッテルを貼りたい訳ではありません。
むしろ、学校や受験、進路のことなどで困っている全ての方の力になりたいと思ってます。
メール→kudo@kobetsushido-shibuya.com