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強くなって、モラハラをなくしたい

結婚前、「今の自分のままで、少しの努力をしたぐらいの状態で生きていけたら」と思っていた。

その程度の心がまえだったから、予期せず始まったモラハラ結婚生活に即座には対応できなかった。

一番最初は、戸惑うばかりで、怒ることすらできなかったのだ。

たくさん考え、調べて、変わらざるを得なかったから私は変わった。

 怒ることができる
 言い返せる
 相手の間違いを指摘できる
 謝らせることができる

これだけのことができるようになった。
まだできていないことがある。

 経済力をもっとつけること
 離婚を選ぶ強さを持つこと

夫には、離婚も辞さないこと、離婚のときにはこれまでのモラハラに対しては金銭を要求する、とは言っている。実は口だけで、離婚についての知識も薄い。

夫は目から鼻に抜けるようなタイプではないので、こんなハッタリで済んでいるのはラッキーだ。

結婚後の自分については、モラハラを知る前も知ってからも我ながらよくがんばってきたと言える。ただ、結婚前の自分はのほほんとしすぎていた。

 結婚したら人が変わったようになることがあると、知らなかった。

 怒ると話が通じなくなる人がいることも知らなかった。

 家族ぐるみで、自分たちはまともであると装ってしまう人たちがいることを知らなかった。

一つ言えることは、私自身が人生を甘くとらえていたから、モラハラ夫を選ぶことにつながったということ。しっかりと見極める気があったら、簡単に見極められた。

夫は見るからに自信がなさそうで、私のことを異常なほどに高く評価していた。そんな夫の様子を見て、この人なら今のままの自分で大切にしてもらえて、ほんの少しがんばる程度で生きていけると踏んだ。もちろん当時、夫のことをとても好きではあったのですが、そういう計算も同時にしていたわけです。

自然な自信にあふれ、社会でもバリバリ活躍していけそうな魅力的な男性は、自分にふさわしくないと考えていた私は、自己肯定感が低かった。

私は自己肯定感が低いばかりでなく、あざとかった。夫に対して、この人なら自分程度で満足してくれそう、と思った。今のモラハラ夫との結婚生活は、事故ではなく、自分が招いたもの。

幸いにも、私自身が変わったことで、今はトラブルがあっても心までむしばまれるようなことはない。だから、さらに工夫してこの生活を変えたいし、自分を変えたいし、夫にも変わってほしい。

気がかりなのは子どもたち。私が、努力をし続けていることを理解してくれたらありがたい。いや、理解しなくていいけど、自分の暮らす家庭にも得るものはあると思ってくれたら、うれしい。

子どもたちは、連休は私の実家に行っていた。急に怒る人がいなくて、まともな人ばかりの私の実家。でも、そんな家庭で育った私の自己肯定感は低かったことは無視できない。

上の子は、自分の父親を問題視していて、「ママにはこのイヤさがわからないよ。お父さんが怒らないんだから」と言う。

それはそうなんだけど、怒らない父親なら、オールオッケーではないんだよ、ということを伝えた。一見何の問題もないように見える私の実家で育ったことで、私の自己肯定感が低くなったのは確かなのだ。父というより母からの影響の方が強いが、父からの影響もある。家族がまとも風だからこそ、押しつぶされるような気持ちになることもあった。

今はたくさんの情報があるし、親に口ごたえをするなという常識はもちろん無視していいから、子どもたちには考えたり、調べたり、思うところをたくさん言ってほしい。私も知っていることはすべて伝えたい。

夫は、自分のルールにそぐわないことがあると怒り出すという欠点があるものの、勉強とか運動や友達づきあいに関する子どもたちのできる、できないにはケチをつけないし、無条件にいい子として扱うのだ。そこは、私よりも優れているかもしれない。

自分がされて嫌だったことを自分の子どもにしないということは、できない人も多くいるだろうし、夫には困ることばかりだけど、この長所は忘れないように心がけている。

モラハラする人は終わってると切り捨てることがいちばん有効だけれど、経済力が足りない。だから、この生活を続け、お金を稼ぎながら、モラハラというものを勉強して、克服したい。

それから、変えられるのは自分だけだから、夫はまったく変わらないことも考えておかなくてはいけない。

 モラハラを記録する

 これまでのモラハラを思い出して書き出す

こういったことも並行してやっていこう。結婚前の自分と似た性質がまだ残っていて、考えに甘さがあり「このまま離婚することなくやっていけたら」という思いがよぎるが、甘い考えは捨てて、これはやっておく。

「このままでいたい」という気持ちが強く、たとえ快適でなくても、変わることの方が怖い。でも、私は変わりたい。しっかり離婚に向けて動くことは、私にとっては「強くなること」。

強くなかったから、あんなに弱い夫に舐めれてモラハラをされた。今は言い返せるし、速攻で謝ってもらっているけど、悔しいことに基本構造は変わっていない。

しっかり離婚に向けて動く強さを身につけることで、まだ舐められてしまう自分を変えたい。

結婚前の私は、言語化すると、「強いことはかわいくない」という価値観を持っていたような気がする。今なら虫唾が走るような考え方をしていた。強くなくても、優しい態度のままで、荒い言葉も遣うことなく、生きていけると思っていた。

思い返すと、若い頃は悪いことをした覚えがないのに嫌われるというか好かれないことが今より多かった気がする。強く生きている人にとって、私は見ているだけでイライラする存在だったのかもしれない。こんな視点を持てるのも、モラハラにあったからこそだ。決して悪いことばかりではないと思うようにしている。

今は、際限なく強くなりたい。強くなってよくないことは何もないと思う。強いとかわいらしくない、という考え方は、あまりにも幼稚で、マスコミの影響も受けた愚かな考えだった。

できることなら、20年前の自分の横っツラをひっぱたいて、

「その考え、本当に自分のもの?」

「思わされてない?」

「強くなりなさい」

と言いたいぐらいだ。








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