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ピアサポーターになるまで 私の半生③
ピアサポーター 金子祐也
本日は大学生のころの話をしたいと思います。
前回までの記事はこちらです。
色々ありましたが、学校も休まず行き、自分の特性を理解して対応することで、友人もでき、彼女もできた私は、勉強に目覚めました。
そして大学に進学することができました。
この成功体験は忘れません。
大学では、モデルをしている彼女ができ、良い友人もできました。学問的にも、最初の学期でいくつかの単位を落としたものの、議論の場や基礎ゼミで学んだ古典に影響を受け、マルクスなどを読み漁るようになりました。恋愛面でも順調で、女子2人と同居するなど、全てがうまくいっていました。
学費も自分でバイトして払い、家賃や生活費もバイトで稼いでいました。
勉強、仕事、恋愛、全てが完璧にこなせました。無双状態です。
しかし、大学2年生の時に、ある事件が起こりました。同じ国際学会に所属する後輩と学会室で一緒に寝ているところを年上の先輩に見られたことで大きな問題に発展しました。
学会室で寝泊まりすること自体は日常的でしたが、女子と2人でいたことが問題視され、教授会でも議論される事態になりました。結果的に退学は免れたものの、国際学会への出入りはできなくなりました。この頃から歯車が狂い始めたかもしれません。
3年生になると、ゼミの先生に勧められてハンセン病に関するNGO活動に参加し、中国のハンセン病村でフィールドワークを行いました。
しかし、帰国後、再びトラブルが発生しました。それまで交際していた相手と別れて新しい恋人ができたのですが、元恋人が納得せず、私との卑猥なメールのやり取りをゼミ全員に配布するという事態になりました。その結果、ゼミ長を降りることとなり、生きていてもしょうがないという気持ちになり、行動を起こすことを何度か繰り返しました。
一方で、学問は何とかなっており、大学院進学の推薦を受けるまでに至りました。が、メンタルが不安定になったのと、両親からの反対もあり就職の道を選びました。
就職氷河期という厳しい時代に140社にエントリーし、なんと138社落ちました。何とか2社内定をいただいたうちの1社のベンチャー企業に就職しました。
ですが、大学を卒業するまでに私のメンタルはボロボロになり、私の卒業式は一人で迎えることになりました。
就職してからのお話はまた今度書きます。
勤めた会社はアルバイトも含めて50社以上です。