未開人から学ぶ心の豊かさと貧しさ①
ピアサポーター 金子祐也
本日は私の経験を書いてみたいと思います。
私は大学時代に2回に渡って中国のハンセン病の村へフィールドワーク(現地調査)を行いました。
私の専門は文化人類学です。文化人類学とは人類とは何かというダイナミックな問いに対して、文化の側面から研究していく学問です。
また自明性(当たり前)の破壊と異文化理解という二つの柱で成り立っています。
他の学問の様に過去の文献から理論を作り出すのではなく、研究対象地に入り込み、彼らと衣食住を共にし、共に暮らしていき、私たちの自明性(当たり前)を破壊し、異文化理解をしていく中で会話などをヒントに分析を行い、理論を組み立てていく、とことんまでリアルを追求する学問です。
私の場合、中国のハンセン病の村の場所が分からなかったため、ハンセン病の支援団体に入り、支援を行うという形で村に入っていきました。
当然、どういう支援を行うかを事前に計画して、村に入っていったわけですが、実際彼らと生活してみて私ははっとさせられました。
私たちの世界での豊かさ、貧しさの価値基準で彼らを見てしまっていたためハンセン病の村人たちは「困っている」という考え方が先行してしまっていたのです。
ところが実際村に入ってみると彼らは少ない資源の中でも心が豊かに暮らしており、「困っている」という考えそのものが間違っているとすぐに理解しました。
その上で私たちの世界での価値基準をいかに彼らに押し付けようとしていたのかをまじまじと感じたのでした。
中国のハンセン病の村では少ない資源だからこそ、毎日毎日を大事に精いっぱい生きる心の豊かさを持った彼らの姿がそこにあったのです。
それは、生活水準とは別に心の価値基準では、豊である象徴的な出来事でした。
国際協力の言葉で開発原病というものがあります。これは、例えばタイのある地域が沼地で人々の生活が大変だと想定されるので、そこに水路を作ってあげようと開発を行います。
ところが水路を作ってしまったあまり、そこにボウフラが大量発生してしまい、そこの村が壊滅してしまうという自体が起きてしまう。これは国際協力の場ではよくある話です。
もっと言えば、我々の価値観を前提にそれを押し付け、支援対象である彼らを見てもかえって事態を悪化させてしまうのです。
私たちは資源に恵まれていますので、資源が少ない中で生きていくことの喜びを理解できません。
本来なら、資源が少ない中で、毎日毎日を精いっぱいに生きる事こそ、
真の生への喜びであり、心の豊かさなのかもしれません。
もし心の貧しさを感じるということに日々鬱屈していたら、主体的に私たちを取り巻く資源を減らすことを考えてみるというのもいいのかもしれません。
文化人類学は、冒頭でもお話ししましたが、私たちの自明性を破壊することに一役買う学問なので、一冊本を手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
本日は私の経験を思い出し、記事にしてみました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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