学習障害は現代だから障害になってしまう
看護師 山田祥和
訪問看護の利用者さんの中には学習障害を抱えている方もいます。学習障害があると、学校は書くこと、読むこと、計算することが大前提になってきますので、とても大変です。
授業は地獄です。
それは行きたくないです。
学習障害(LD)とは、知的能力に特に問題がないにもかかわらず、特定の認知機能における困難が原因で学習に障害が生じる状態を指します。文章がすらすら読めない、字が書けない、計算できないなどなど。
よく考えると、文字や数字がない縄文時代などでは、当然そのように苦労することもなかったはずです。
現代だから障害と見做されてしまうのでしょう。
最近の研究ではLDの人の脳(読字障害)は、左半球にある言語処理に関与する領域の活動に違いが見られることがあると言われています。
これにより、音韻処理や文字の認識に難しさが生じることがあるようです。
また、異なる領域間の接続性に変化が見られることがあることがわかってきました。
例えば、読字障害の人では、視覚情報を処理する領域と、言語を処理する領域の間の通信がうまくいかないことがあるとされています。
その他、情報を処理する速度や効率に違いがあることが多く、これが読み、書き、計算といった特定の学習活動に影響を与えることがあると言われています。
一部の研究では、LDの人の脳は学習や訓練によって可塑性を持つことが示されています。つまり、適切な教育的介入やトレーニングによって、脳の機能が変化し、学習の困難さが軽減される可能性があるとされています。
だからといって、決して努力不足でこうなっているわけではありません。
生まれ持った特性です。
一方、LDの人の中には、その脳の特徴から創造性や発想力に長けている人もいます。従来の枠にとらわれない視覚的な思考を使って新しいアイデアを生み出すことができる人もいます。
問題解決も、他の人が気づかない解決策を見つけることができる場合があったり、人間関係や感情に対する高い共感力を持ち合わせたりする場合もあります。
これは、自己の困難さを乗り越える経験を通じて他者に対する理解や共感が深まったのかもしれません。そして忍耐力があります。
また、明らかに視覚的な強みがある方がいます。グラフィックデザインや美術、空間認識が求められる分野で優れた能力を発揮することがあり場合があります。
森の中からリスを見つけたり、同じような景色の森の中でも迷わなかったり、もしかしたら人間が生きていく中でLDの人の能力は必要だったのかもしれません。
今の時代だから苦労しますが、縄文時代に生きていたら活躍したかもしれません。人類が生き延びる上で必要だったのかも。
読み書き計算は、学校の勉強があるからであって、学校教育が障害にしてしまっている可能性もあります。
LDの場合、学校という勉強以外にも必ず活かせる力があります。自分はダメではありません。
私たちは訪問看護の中で、強みを見出し、強みに焦点を当て、自信を持って生活できるように支援しています。
自信があれば、二次障害が起こる可能性も低くなります。
ちなみに、私は方向感覚が壊滅的です。道が覚えられません。恐らく脳の機能で、努力ではどうにもなりません。Google Maps様様です。
Google Mapsがあるから訪問看護ができていると言っても過言ではありません。