前世のことをちょっと。
おはもにこんにちこんばんにゃ、媛貴です。
今日はちょっと前世のことについて色々吐き出せたら、と思います。
色々鬱展開な内容なので苦手な方は回れ右でお願いします。
第一の前世
そもそもの始まりは、鬱(発達障碍)の治療になれば…と思い受けたヒプノセラピーでした。
先生の指示の元、深呼吸を繰り返して深層心理に落ちていこうとしたのですが、どうしても辛くて。
先生が「辛かったら泣いていいですよ」と言ってくださって、つい我慢ができなくて泣いてしまいました。
そこで見えたイメージというのが、ヨーロッパの港町のような場所で、あたしは男の子(14~17歳くらい)でした。その中で妹を探しているのですが迷子になってしまった妹がどうしても見つからなくて。
発見されたときには水路で亡骸となって浮かんでいました。
前世でも、私は妹を失っていたようなのです。
そしてその前世では成長し、結婚し、幸福な人生を送り、最期は子供たちに見守られて死別した妻のいる天国に召されるー。という内容でした。
現世のお話をさせていだたきますと、現世で私は四人姉妹で、末の妹が自分が発達障碍であることを儚んで自死しております。
これは発達障碍に理解がなく、妹の個性や尊厳を無視し続けた私を含む家族の責任です。私も発達障碍のことを家族に訴え続けたのですが、力及ばず妹を死なせてしまいました……。
妹の訃報を聞いたとき、真っ先に浮かんだのが『また守れなかった』でした。
自分でも「どうして『また』なのか」が分からなくて、気のせいかと思っていたのですが、前世からの因縁だったのかと思うと納得できなくもないなぁ、と。それも妹だけでなく、父とも因縁があったようなのです。
父はDVがひどい最低な父親で、母・私・妹たち全員が一通りサンドバッグのように殴られ、言葉の暴力でも苦しめられております。
その父とも前世ともつながっており、ヒプノセラピーで見た前世では幼馴染のような、一方的にライバル視されているような関係でした。
私の何が気に入らないのか、一方的にいちゃもんをつけてきては前世での私の恋人(のちの妻)にまで乱暴を働くような人間でした。
セラピーの先生からも、「お父様とのご縁が深いみたいですね…」とお話頂きました。
第二の前世
それからまた幾月か経って、別の記憶らしきイメージが浮かんできました。
今度もまた私は男性で、ただ違うのは少年ではなく成人した男性でした。
力もあるし自分で稼ぐことができ、自分の愛する女性を抱くことができる大人の男性でした。
お相手は美しい女性でした。
波打つブルネットの髪は艶やかで、射干玉…というよりは鴉の濡れ羽色のほうが似合う、そして絹のような手触りの髪でした。
そして目を引くのが情熱的なルージュの唇。口づけを請うかのようにツンと突き出された唇は同性の私が見ていてもドキドキしました。
いつも見るのは、その女性を抱いているシーンばかりで、いよいよ欲求不満が抑えられなくなったかとも思ったのですが…。
ただ、毎回浮かぶのがそのシーンと、男が酒場で仲間らしき人物たちと酒を飲み交わしている様子しか見れず、女性がどうなったのかがずっと分からずにいたのです。
ただの愛人で身体だけの関係だつたのかなぁ、ちょっと寂しいなぁと思っていたのですが、別のセラピストさんに視て頂くと…どうしたものか、とても言いにくそうにされているのです。
「媛貴さん、ショックを受けると思うけどいい?」と言われたので「どーんと来いです」と笑いながらお話を聞いたのですが…
思った以上にショックでした。
というのも、私だと思っていた男性は私ではなく、父ではないかと。
そして抱かれている女性こそが私自身であるのだと。
それだけならまだいいのですが、愛し合っていると思っていた二人なのですが、実は女性のほうが暴行を受けていて、男が酒場で酒を飲んでいる隙をついて逃げ出して自死したのだと。
ショックで立っていられず、椅子をお借りして泣き崩れました。
また父に人生を踏みにじられたのか、と。
前世なんて所詮フィクションで夢物語かもしれません。
ただ、私の中の誰かの遺伝子の記憶が残っているのです。
燃えるような、熱い、深い傷痕となって。
私の中にずっとあった、炎のような使命感が燃え上がった瞬間でした。
現世で因縁を断ち切らなければ。
それが現世での私の役割であり、妹への餞ではないかと思っています。
現世での私の責務
暴力を受けすぎて逃げる事もできなくなった母。
「離婚してもいいのに」と勧めたのに「怖くて離婚できない」と逃げた母。
可哀想だと思います。でも同時にそういう人生を選んでしまったのも母自身です。
結婚して実家を出てしばらくは「母だけでも家から出してあげたい」と思っていたのですが、久しぶりに里帰りして墓参りした帰りに、妹に対して「遺された家族がどんな気持ちなのか考えもしないで勝手に死んで」と言い放ったんですよね。
おいおいおいおいおいおいおいおいおい。
すまない母上、申し訳ないがアンタがそういうなら「家から出してあげたい」と思った娘らしい感情はナシだ。
アンタも、妹をギリギリまで追い詰めて死に追いやったオソマな親父と一緒だ。あの親父、なんて言ったと思う。
「娘がいなくなってしまって涙が止まらない自分がとても可哀想」なんてぬかしやがった。
この人たちは何を言ってるんだろう?
可哀想なのは17歳で自ら死を選ぶまで追い詰められた妹だろうに。
アンタたち70年以上生きてきて何を見て、何を学んだんだ?
申し訳ないけれど、貴方たちとは価値基準が違いすぎる。
だからバイバイだ。
というわけで2年ほど前に離縁状を叩きつけてやりました。
幸いなことに何も連絡がこないということは受理されたのでしょう。
ただ、物理的に離れることができても、心理的には過去のトラウマは消えなくて、私は今も苦しんでいます。
・妹の死
・実母から嗤いながら首を絞められたこと
・実父から目の中でコンタクトレンズが割れるほどサンドバッグ扱いされたこと
この三つはどうしても自分の力だけでは癒すことができないでいます。
仮に私に非があったとしても、親子とはいえ折檻の領域を超えています。
コンタクトレンズが割れた時には情けなくて、それでも正しいことをしたくて、泣きながら一人で警察署に行き、事情を説明して保護していただきました。
正直情けない気持ちでいっぱいです。
ただ、相手は自分以外の人間=他人ですから、どう足掻いても変える事はできません。
でも私自身は自分の意志で変わる事ができます。
だから私は発達障碍であることを受け入れて生きる事にしたのです。
長くなってしまいましたが、前世からの気づきもなかなか無下にはできないよなぁと思ったリーディングでした。
発達障碍であることは、妹とともに生きる事だとも思っています。
すぐ下の二番目の妹は「(死んだ妹のことは)もう終わったことなんだから」と言うのですが、当事者の私にしてみれば何一つ終わっておらず、すべて現在進行形なのです。
受け入れて生きる事にはしましたが、これも一筋縄ではいかず、苦労の連続だったり辛い事だらけです。もちろん理解してもらえない事もたくさんあります。
でも、それを全部ひっくるめて「障碍」なのではないか。
ある人にとっては「障害」。
ある人にとっては「障がい」。
ある人にとっては「障碍」。
それが私にとっては「障碍」だっただけなのです。
Twitterでも呟いたのですが、「碍」という文字、ちょっと好きだったりします。
前世の事も考えていたらキリがないのですが、私は両親のような、筋の通らない、他人の人生を踏みにじることで自分を正当化しているような人にはなりたくない。
そう思って縁を切ったと思ったのですが…。
『縁は切っても血は残る』
それがちょっとネックになっています。
なのでカウンセリングを受けながら、ちょっとずつ自分の痛みと向き合いながら、自分を癒していこうと思います。
拙書ですが最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
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