猫箱を護る古びた図書館管理人は謳う02
■女神保存仮説01
「解釈が自由な故に、いつだって人は迷い惑わされ悩む…<ワタシ>だってそうよ」
「んーーーーーーー…」
ぷくぅっと頬を膨らませ、椅子に腰かけた足をぶらぶらとさせているのはショートカットの少女だ。
やや長めの前髪を真ん中で分け、さらに長い上の髪を三つ編みに編み込んでいる。
足を揺らすたびに淡いチェリーピンクの髪が揺れ、退屈を持て余しているのかゆるく上半身を揺らし始める。
「ワタシだって錬成したいのに…錬成したいのにーーー!!」
愛らしい唇をつんと尖らせぶう垂れる。
古びた図書館の一角。管理人室の真下の書斎で、少女は重苦しい溜め息をついた。
「いいなぁー!グリちゃんは執筆が捗って!」
そう言いながら、目の前の長机で無心でかりかりと羽ペンを走らせる少女を羨ましそうに見つめる。
「………」
呼ばれた少女は振り向くこともなく、ひたすら羊皮紙に文章を綴っていく。
達筆で流暢な字が、少女の生真面目な性格を表しているかのようだった。
二人の少女はよく似ていた。背格好、髪の色、身に着けているもの。
チェリーピンクの髪に、天使と悪魔を模したかのような衣装。
ショートカットの少女をオルトリンデ、もう一人の少女をグリムゲルデといった。
「ワタシも!ワタシも!!!<魂の器>の錬成をしたいのーーーー!!
グリちゃんばっかりお仕事進んでてつまんない!!主さまからの『現界権限』の承認、まだかなァー?!」
ついにオルトリンデがジタバタとダダをこね始めた。
そこでようやくグリムゲルデが口を開く。
「……したでショウ、錬成…」
「あんなの、錬成したうちに入らないもん!!」
うわーんと泣き伏す相棒に、グリムゲルデはそっと溜め息をつく。
仮初とはいえ最新の3Dモジュールのサポートを受けて錬成した『偽典』の登場人物の<魂の器>だ。
「……ワタシからして見れば、見事な人体錬成だったと思いマス…」
その呟きに、突っ伏したオルトリンデの肩がぴくんと反応する。
それを気配で確認したグリムゲルデはさらに続ける。
「仮初とはいえ、何も知らない閲覧者にとっては良い視覚情報になったのではないでしょうカ。メラビアン師も視覚情報はその人物印象の6割近くを占めると説かれておりマス…それに」
「それに?」
グリムゲルデはわざと一呼吸おいた。
「ワタシはアナタの錬成する<作品>が好きデス」
その言葉にオルトリンデががばっと顔を上げる。
「ワタシもグリちゃんの書く物語が好きだよ!!!ううん、大好き!!もっともーーーーっと大好き!!!」
後ろからタックルをかまし抱きついてくる相棒に、グリムゲルデは「インクが零れマス」とだけ応える。
「ねぇねぇ、グリちゃんは何飲みたい?ワタシはねー、シナモンアップルティーがいいな!」
「でしたらワタシは黒豆茶で」
「…相変わらず渋いチョイスだよね、グリちゃん…」
そんな二人の眷属たちの様子を階上から愉快そうに眺める人物がいた。
「なかなか賑やかで楽しそうで何よりです。そろそろオルトリンデの『現界権限』を承認してあげては?目の前に人参がぶら下がってるのに、いつまでもありつけないお馬サンは可哀想ですヨ?」
言いながら<ワタシ>を振り返った人物は元々細い目をさらに細くして嗤った。
緩くうねるチェリーピンクの長い髪を三つ編みにまとめ、額から左頬にかけて蛇のような紋様を刻んでいる。
装束も他の二人に比べ、より<ワタシ>に近く、魔術師として最高位の黄金色を許されている。
名をワルトラウテという。
少女と呼ぶにはやや大人びており、成人と呼ぶには若干危うげな幼さを感じさせる。
「承認そのものはしているわ。描こうと思えばいつでも描いていいのよ。ただ右腕部のマニピュレーターの不具合なのかしらね…動力伝達が上手く行かないのよ」
「つまりは『描きたくても描けない』、と」
「そういうこと。描くにしても、かつての思い出をなぞるのが精一杯で、〈魂の器〉の錬成にまで至らない。あとは…今は世界観や物語そのものの構築、特に再三に渡るレギュレーションに動力のほとんどを持っていかれてるから、なかなかイメージを投影してからの具現化に至れない…ホント、脳みそと身体がもう一つ欲しいわ」
ワルトラウテの入れてくれた紅茶に口をつけながら<ワタシ>は面倒くさそうに息を吐いた。
鮮やかな赤ワインを連想させる、透明感の高いコチニールレッドのハーブティ-が<ワタシ>の唇と喉を潤す。
「これこれ。この季節はローズヒップとハイビスカスのハーブティーに限るわ」
「美肌効果に免疫力向上、ストレス対策にうってつけ。飲み過ぎにさえ気を付ければ女性の特効薬ですナ」
同じようにハーブティーを口にし、ワルトラウテも満足そうに嗤う。
端から見れば、双子の姉妹がティータイムを楽しんでいるように見えるかもしれない。あながち間違いではないけれど、姉妹と呼ぶには<ワタシ>と彼女は近すぎる存在だし、姉妹と呼ぶには到底価値基準が違い過ぎて、決して分かり合えない存在でもある。
そんな<ワタシ>の心情を知ってか知らずしてか、ワルトラウテはふと天井を仰ぐ。
図書館管理人の執務室であるこの部屋は<ワタシ>たち二人には広すぎるほど広すぎた部屋だ。
その中央。
天井により近い空間に、柔らかな黄金の光を放つ巨大な立体映像が浮かんでいた。
中央に、真円とは言い難い巨大な球状の深紅の核を抱き、その周囲を大小3重の黄金の環状列石がゆるゆると取り囲み周回している。環状列石の中にはそれぞれひと際大きな貴石があり、内側から<ウルド>、<ヴェルダンディ>、<スクルド>の名が刻まれていた。
さらによく見ると、中心の核にはルーン文字に似た幾何学模様が刻まれ、ランダムに1文字1文字が黄金の光を反射し、その時その時にしか配列されない難解な文字列が何もない空間に映し出されていた。
「いつ見ても美しい錬成陣…いえ、アナタの頭脳そのものか。
アーティフィシャル=デアエ=イムヌス=ドゥオモ…通称『ミーミルの泉』。
かつての『中央電脳オーディン』をさらに拡張化した高次元情報収納及び放出デバイス。知識は常に滾々と湧き出でているわけですネ」
「実に美しい」と感嘆するワルトラウテに、<ワタシ>は静かにハーブティーをすする。
「サルベージできるだけの情報はサルベージした…あとは純然なる方程式を当てはめて物語を紡ぐだけなんだけど…いかんせん、サルベージに時間がかかりすぎたわ。あと正典そのもの解読も。思ったよりも複雑で術式を読み込んで魔術形体に組み込むのに難儀してるし、現在も深層意識にダイブ中…。やる事が多すぎて一人じゃ捌ききれない」
「それ故のサポートシステム『ミーミルの泉』よ」と<ワタシ>は付け加えた。
「最近のお得意は神道でしょうに。何故北欧神話に拘るんで?」
「…昔取った杵柄というかなんというか。ちょっと懐かしくてひっぱり出したら、芋づる式で面白いものが出てきただけよ」
「左様ですか」とワルトラウテはくつくつと嗤う。陰湿な笑い方だ。
「それにしても…『ここ』はいつでも美しい音楽に彩られている…」
とワルトラウテは再び天井を、いや、執務室全体を見回す。
シン…と静まり返った執務室に、<ワタシたち>だけに聴こえる音楽が響いていた。
「本日の曲目は?」
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作、レクイエム。通称モツレク第8曲 『ラクリモーサ(涙の日)』と第3曲『ディエス・イレ(怒りの日)』を現代アレンジした魔曲バージョン」
「魔曲?」
「原曲は原曲でいいんだけどね…知りたかったら自分で調べて」
「ふむ…その心は?」
「強いていうなら…『待ちたい』のかもね。レクイエム自体はイエス・キリストの降誕を待ち望むアドヴェント聖歌として現在も歌われることがあるそうよ。どうしてか知らないけれど、第二ヴァチカン公会議以降はラテン語での歌唱は減ったみたい」
「ある筋からの情報によると、ただ単に聖歌のグローバル化の為だそうで」
「あら、そうなの?」
<ワタシ>は目を閉じ、ミーミルの泉へとアクセスする。
「神装大辞典『ヴォルスパー』起動。検索ワード『典礼言語』」
<ワタシ>の言葉がミーミルの泉へと直接入電され、あらかじめインストールしてあった検索ソフト『ヴォルスパー』がパラパラと音を立てて開いてゆく。
「<ワタシ>にしてみれば、キリスト教=ラテン語みたいなところがあったから、結構重要視されているかと思ったんだけど…『ああ、なるほど』。確かに色んな言語が使われてるわね。日本語版のレクイエム、聞いてみたいわ」
そこで<ワタシ>はふぅと大きく息を吐く。
「おや、お疲れで?」
心配などちっともしていないくせに、ワルトラウテは芝居がかった仕草で首を傾げる。
「……2月10日」
「はて?何の日でしたっけな?」
「…誕生日よ。あの子の」
「おやめでたい。盛大にお祝いしてあげなくては」
「………」
二度目の溜め息を吐き、<ワタシ>は執務椅子の背もたれに深く沈む。
ワルトラウテが今度は本気で眉をひそめる。
「便秘ですカ?ご不浄でしたらあちらに」
「ここの所毎朝快腸だわよ、失礼な。…盛大にお祝いされて、あの子が喜ぶモンなのかしらね…」
言いながら<ワタシ>は両腕を組む。
2月10日は『正典』の主人公であるレインボウ・チェイサーの誕生日であると同時に、『偽典』の主人公・探湯零韻の誕生日でもある。
『偽典』は<ワタシ>の領域内ーつまり【絶対幸福論の固有結界】で護られた聖域であるが故に、眩いばかりの幸福に満ちた物語が用意されている。
その中で<ワタシ>は純然なる方程式に則り、【探湯零韻は家族と幼馴染に祝福され、はにかもながらも心からの笑顔を浮かべて自分の誕生日に感謝するだろう】と記述することができる。
ただ、レインは。
レインボウ・チェイサーは。
「複雑ですなァ、クローンの生(セイ)とは」
「『正典』の領域内で、アーティフィシャルであるクローンの存在はそうそう珍しくない…。レインも、現在までにこの図書館に保管されている正典のPHASE7までにおいては【おおよそクローンである自分を受け入れているように見受けられる】」
「ふむ。正典内における【楔打たれし絶対不可侵領域】…有効ですな」
「ええ。彼女は自身を受け入れ、生きようとしている…今はまだその旅の途中。ただ、同時に【チェイサー家の者と関わりがあると非常に精神的に脆くなり、度々発作に苦しんでいる】…つまり、【正典における唯一無二の真実に辿り着くまでは彼女の存在意義に平穏は訪れない】」
「それもまた【楔打たれし絶対不可侵領域】ですネ…片割れ様は何と?」
「『己が望むままに』と。一言だけ」
「ンフッ」
噴き出し、肩を震わせるワルトラウテに、<ワタシ>はうんざりと天井を仰ぐ。
「嗤ってんじゃないわよ、このアンポンタン。要するに<ワタシ>に好き勝手に物語を紡げと言っているのよ?【境界線なき自由解釈による『猫箱』への過剰干渉】に抵触しかねない。ぶっちゃけちょっと怖いんだけど」
「好きに…ンフフッ…いつも通り好きに、おやりになればいいのでは…?ンフフフッ…!」
嗤いを必死に堪えているが声が震えていて余計にムカつく。
「今までもかなり好き勝手させてもらっているじゃないですカ。ええと…何といいましたっけ…ほら、例の『真実の魂』の名を冠する女司令官の話。アレはいい線行っていたじゃないですカ」
「あれは<魂の器>を錬成した<ワタシ>の親心と、エメト・ルーアッハというキャラクター性が運良く合致しただけだし、『猫箱』に抵触していないはず。レインは正典の主人公であり、マザーと同等に正典の中枢足りえる最重要人物なのよ?<ワタシ>が直接手を加えてどうにかなる存在じゃない。
<ワタシ>なりにレインの人物像を『ミーミルの泉』をフル稼働で解析してるんだけど、どうにも『深く潜りすぎてしまう』…正典において、不確定要素である【 】について、ついつい考えてしまうのよ…。
【クローンの生に、祝福も喜びもない】…『レインがクローンでないならば話は別』だけれど、それでは正典の根底そのものを否定してしまうことになる。それが【境界線なき自由解釈による『猫箱』への過剰干渉】よ。
だからこそ<ワタシ>は偽典を発案することで【過剰干渉】を…正典そのものの改変にならないようにしてる…何かヒントくらいはくれるかと思ったんだけどガチガチのガチで丸投げされたわ…!」
「片割れ様も楽しんでいらっしゃるようで何よりですな」
くつくつと嗤いながらローズヒップティーをすするワルトラウテの言葉に、<ワタシ>はげんなりする。
「…【委任状がある以上、丸投げされたものはすべて有効。図書館管理人は受理すべし】…。
…レインが…あの子が、『2月10日という日をどう捉えているのか』……ホント、どうなっても知らないわよ…」
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