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「こころ、揺れる」 - Be Water, my friend.

流れる水のように、腐らず、一箇所にとどまらず、変幻自在に形を変えつつ生きていけるか?


"Be Water."

Bruce Leeが言ったとされるこの言葉は、インタビューで述べられたとされる。(因みに、彼の映画を見たことは無いのだけれど)原文は下記の通り。

"Empty your mind, be formless, shapeless - like water.
    
Now you put water into a cup, it becomes the cup,
you put water into a bottle, it becomes the bottle,
you put in a teapot, it becomes the teapot.
      
Now water can flow or it can crash.

Be water, my friend."

小さい頃、英語を勉強していて目にした言葉に衝撃を受けた。

シンプルだが、深みのある言葉。

それ以来、あらゆる場面で、この言葉を自分に言い聞かせてきた。

テストで思った結果が出せなかった時、スポーツの試合でライバルに勝てなかった時、海外生活を開始してすぐに家に帰りたくなった時。

昔は、何かが上手く行かず壁にぶつかった時に、「負けるな、自分、腐らず水のように流れ続ければ、きっと次は上手く行くさ。」というニュアンスでの呼びかけとしての使い方が多かったように思う。


自分がこの世界で仕事を初めてから、対象は日本から全世界へと広がり、また時間軸はミリ秒単位だったのがナノ秒単位やそれよりも短い世界に変わってきた。大きな失敗と小さな成功を繰り返し、当初この業界で生き残れる限界と思っていたよりも長い間、自分の意図に反して仕事を失うこともなく現在までやれてきた。


そして最近、この言葉は、自分に違った形で問いかけてくる。

どこかで、水のように変幻自在であると思っていた自分が、余りに目の前に集中しすぎて目的や全体像を見失い、霧のように形ないものに変わったり、はたまた、自分のこだわりや好き嫌いに固執しすぎて氷のように凝り固まってしまったり。

これまでの経験を無くしたとしても自分の価値を表現出来るか、フィールドを変えても活躍できるか、さらなる発展や気付きのためにも多様性や異質性を受け入れて楽しむことが出来るか。

新しい国での生活を始めた度に(長期滞在に絞っても、これまで5カ国以上に住んできた)、毎回「水が合わない」と感じてきた。それは精神的なものだけでなく、シャワー中の感覚など、肉体的にも本当に「水が合わない」という経験だった。実際に食事等にも影響が出てきたことも多かった。

それでも不思議なもので、しばらくすると、その湯気の香りや、普通の水を使った料理が美味しく感じられるようになった。「水が合わない」と思っていた自分が、不思議と精神的にも肉体的にも、自然と馴染んで行くように変わっていった。

回数を重なる毎に、より早く、苦労も少なく対応が可能となった。


そう、「水が合わない」のではない。

自分が、その水に合おうとしていなかっただけ。


出口の無い沼の水のように、現状維持や、その場に止まって、同じことを反復するだけの生活は、自分はできない。そして、したくない。


何かを失っても、何かにぶつかっても、水のようにadjustして、周りの水を取り込んで、次の何かに出会うために、流れていきたい。


今日の自分に。

そして、明日の自分に、問い続ける。


Empty your mind, be formless, shapeless - like water.

Be water, my friend.

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