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「こころ、揺れる」 - 物を買うだけの覚悟はあるか?

私たちは、理論上は、自由に経済活動を行える社会で生活をしている。そして、その中では、自分が提供できるサービスや持っているものの価値によって、市場の競争の下で対価を受け取ることができ、又これをもとに経済活動を行なっていく、という風に説明がされる。

皆さんは、物を買うことが嬉しい、もしくは楽しいという感覚があるだろうか。

私自身は、資本市場と呼ばれるエリアに関わる仕事をしてきたが、購買行動に関する自分自身の性格は、どうやらかなり変わっているらしい、ということを最近指摘された。

①100円ショップで買い物をする

②ペットショップでワンちゃんを購入する

③ブランドショップで、限定品のバッグを買う

④小さい頃から欲しかった車を買う

⑤居住用に家を購入する

額が小さい順に並べてみたものの、皆さんは、どの購買行動が、一番慎重になるだろうか。どれが一番贅沢な行為だろうか。どの買い物が、一番覚悟が必要になるだろうか。

自由に経済活動を行える社会というのは、その対価を払える範囲において、という、ほぼ皆さんの思考回路で一番大きな制約が付く条件によって、実際はかなりの自由が奪われている社会だとも言える。

手が届かないから、買えないな。。。。

このように、自分に言い聞かせて、欲求を抑え込んだ経験がある人は多いのではないか。

一方で、私の場合は、どんな値段のものでも、自分の中で、所有したものとしてある意味胸を張って認識する(買ったことを忘れるということは、全く理解できないです。。。)だけの価値があるものだけを購入する、という覚悟がいる、時間とエネルギーがかかる行為とでも言えるだろうか。それは、最近家をサッと購入したのに、庭で広げるためのシートを購入するために何件も回って時間をかけた際に、家族から指摘されたことで気が付いた。

自分にとっては自然なことで、別に我慢しているわけではないのだが、買い物という行為が楽しい、という感覚を味わったことがない。性格上、本当に欲しいと思わなければ、何円だろうが要らない、一方で、本当に必要だと思うと、あまり値段は気にならないのだ。

さらにタチが悪いのは、買うための精査もかなりのものだが、買った後での後悔がある場合。

「やっぱり要らなかったじゃないか、自分!」

この気持ちを味わいたくないので、出来るだけ物を買わない、どうしても、どうしても必要なものだけを買う、という風につながっていく。買うという行為は、苦痛を伴うもの。

これが良いとか悪いといった話ではないのだが、皆さんも、買い物をする際に、ふと、どうしてこれを買いたいのか、それが長短は問わず、自分と一緒に過ごすことを許すだけの価値があるものかどうか、気軽にでも考えてみると、少し購買行動が変わるかもしれないよ、ということはお伝えしたい。

物が少ないこと自体が幸せだとは思わないが、自分の中でのオールスターだけを所有することは、私にとってはこの上ない幸せを感じさせてくれる.

毎回、何かを買う度に、覚悟を決めてレジに並ぶ、そんな買い物をしてみると、考え方が何か変わるかも知れません。


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