「こころ、揺れる」 - 守りの考えが浮かんだ時点で、退化は相当進んでいる
「攻撃は最大の防御」と言われるが、守りに入る考え方が何となくでも浮かんだ時点で、かなり退化してしまっているのではないか、と感じたエピソード。
2月の記事で触れた土地での生活を始めて、しばらくが経過した。土地自体に惹かれたのに加えて、自分の生活に次の変化を入れたかった、というのが、精神的な面での理由として挙げられる。もう少しプラクティカルな理由としては、お野菜等の食材が豊かで、そして何より新鮮なのが、心身ともに健康な状態でこれからの時間を過ごすのに重要と感じたことが挙げられる。
夏は、この地域のベストシーズン。あまりジメジメせず、また気温も快適だった。そして、近所のローカルのお店に午前中早い時間に行くと、信じられない程新鮮な、朝どれの(というよりも、1時間以内に収穫された)お野菜が並んで、色々な種類を楽しむことが出来た。それは、美味しいというよりも衝撃的で、「今まで口にしていたものは何だったんだろう。」と後悔の念すら感じさせるものだった。
お野菜自体の素晴らしさで1つのnoteにしても良いのだが、今回は、そのお野菜を隣で購入していた料理人の方の一言から感じたことを書き残したい。
彼は、綺麗なシルバーのお髭を触りながら、「野菜は、どんなにうまく保存しても、地面から抜いたりカットした時点よりも味が良くなることはない。その時点でピークは終わるから。ブランドや、保存方法、料理の腕はもちろん重要だけど、何よりいかに収穫した時点から早く料理にするかで、9割の味が決まる。」ということを語ってくれた。
この一言は、野菜の味とともに、その日のランチで私に少しずつ染み込んできた。
根っこから抜かれたり、葉っぱを切られた時点がピークというのは、自分に置き換えると何だろう。クビになること?誰かから絶交されること?大切な人とお別れすること?
野菜も、そろそろ収穫されるだろうなっていう自覚というか、予測というか、何か感じるのかな?自分だったら、もうすぐ収穫されるって分かったのならどうするだろう。これ以上生長しても意味ないと思ってしまうかもしれない。どうせ食べられるんだし。
でもきっと、私が毎日口にしている野菜たちは、そんなこと考えずに、最後まで、土と、水と、空気と、太陽を精一杯取り込んできたんだろうな。
少しでも、ゴールやそこまで逃げ切ることだったり、もしくは既に手にしたものを失わないように守ろう、ということを意識した段階で、朝どれ野菜としては失格なのかもしれない。
実際に、逃げ切りに入ったり、手にしたものの防衛のための行動に移らなくても、それが意識の中にフッと浮かんだだけでも、失敗を恐れない全力での挑戦だったり、成長への努力や気概は欠けてしまっていて、相当退化してしまっているのではないか。
自分のベクトルが、進む方向に対してマイナスになってしまっていることだったり、過去の移動平均線がマイナスになってしまったことだったりに気が付いた時点では、既に進化や成長からだいぶ逆行してしまっていて、改めてゼロの地点に戻るまでに、だいぶ時間がかかってしまう。
だからこそ、そんな守りや保険を考える余裕がないほどに、やりたいことに向かって全力で駆け抜けないと、朝どれ野菜として自信を持ってお店に並べてもらえやしないな。
そんなものを頂くに値するだけ、挑戦し続けないと、この地域に住んでいてはいけないな。
そんな覚悟の必要性を改めて感じた、初めての夏だった。
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