私を幸せにしてくれるのは、 物じゃない。
とにかく捨てに捨てまくっている今日この頃。
過去の年賀状は住所をデータ化した。通帳や保険やカードなどの契約書も整理した。
取っておきたい書類は、要るか要らないかの選定を何度も何度も繰り返して、捨ててきた。
メイク道具やスキンケア類も減らした。CD類はケースを外してさらにコンパクトに収納した。
そんな私が捨てられないもの…
私は服がなかなか捨てられない。
どれもきちんと選んで買ってきたから、それなりに着ている服ばかり。
それでも捨てたり売ったり譲ったりするときは、着心地はもちろんだけど、今の年齢に合うかどうか、人に会えるかで決めている。
休みの日は古くなって外に出られない部屋着でいるのが好きじゃないから、着古した服はほぼ持ってない。(→それこそ、手放すか切って掃除に使う。
着心地が良かったり、気に入ってるものを着ていると気分がよくなるし、それなりに良いものだと良い緊張感が生まれる気がする。
贅沢だと言われたらそれまでだけど、肌に触れるもの、身につける物だから、そこはこだわりたい。値段が高ければ良いわけではないというのは私の基準。
例えだけど、ツイッター。
字数が決まっているから、言葉を選ぶし表現も考える。
言葉を磨こうとする。
服だって持ち物だって、保管する場所の限度があるから良いものを選ぼうとする。
振り返ると、手放してきたのは、とりあえずという《間に合わせ》で買ったものも多かったなぁって気づいた。
あるときから、頭の中でわかっている範囲に自分のものが収まってる感覚って心地いいなって思うようになった。
こんな私は、中学生まで片付けられない人でした。今考えると考えられないくらい汚かった…笑
家族に引かれるくらい笑
高校生くらいから、衛生的な観点で、緩やかに潔癖感が高まっているので、これ幸いです。(最近は著しい困
衛生物品の消耗品関連やストックは多いと思う。掃除関係や薬や救急箱、消毒関係はやや多めにストックあり。
災害時の備えは必要だと思っているので、切らさないように心がけてる。
趣味の領域だと、服や靴は結構あると思う。
でも、雑貨的なものはそんなにないかなー。高校〜大学生くらいは雑貨屋さんとカフェが大好きでした。雑貨は多ければ多いほど、管理や掃除が大変だったりする。カフェは、過ごせばその場で無くなってしまうけど、舌や心にはちゃんと残る。…と思っている。
人によって、必要なもの、大切なものは違ってくる。だから、一概にミニマムならよいとか、物はたくさんあったほうが幸せとか、そんなこと言うつもりはないけど、自分に合う、自分らしいものとの付き合い方が見つかればいいんじゃないかなって思う。
ミニマリストになりたいわけでもないし、私は、少なすぎるのは生きていけないので…笑
何を言いたかったのかというと、
私に必要なものって、
そんなにないんだなってこと。
身の回りの物、手が届く範囲にあるもの。
つまり、身の回りの幸せ、手が届く幸せ。
それが、今の私に必要なものかなって思う。
物は、あればあるだけいいわけじゃない。
私を幸せにしてくれるのは、
物じゃない。