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『悪魔を出し抜け!』を読んで

今回は絶版になっている、ナポレオン・ヒル著の『悪魔を出し抜け!』の考察です。最近読み直していて、改めて調べると知らぬ間に絶版になっていました。
絶版になる場合は、大抵売れ行きが悪いからです。
しかし、ナポレオン・ヒルの著作に限ってそんなことはないと思うのです。
そう考えると、世の中に出て都合の悪いことがあったのかと、
陰謀論めいたことを考えてみたり…

この本の中で最も印象に残っているのが、次の箇所です。

悪魔 私が支配できるのは自分で考えることをしなくなった「流される」人間だけなのを知っている。「地獄」というものが、死後の世界ではなく、この世に存在するということを知っている。しかも、その地獄で私が使う火は「流される」人間たちが作っているのだということも知っている。

『悪魔を出し抜け!』p.152

「流される」というのが悪魔の手法のようです。
このことから考えたのが、日本人の風習にある「空気による支配」です。
「空気を読む」という言葉に象徴されるように、私たち日本人は「流れ」を気にして流されていくのです。
日本人の多くのが悪魔に支配されているのではないかと思うのです。
つまり、自分で判断しなかったとき、そこに悪魔がつけいるのです。
そして、地獄はあの世にあるのではなく、この世にあるということです。
これらのことから考えると、判断のない流された状況というのは、
悪魔が支配をするのにチャンスであるということです。

今回の表紙の画像にはブリューゲルの「反逆天使の堕落」を使っている。この絵画を読み解く上でこちらの記事を参考にした。

この絵画では、天使だった者たちが転落していくのだ。
そこでは終焉のラッパも吹かれている。天にいる者も、堕ちた者もだ。
天使が堕天する様子から、絵画には光と闇が同時に存在していることを描いていることが読み取れるのではないだろうか。光があるところに闇がある。それは、「歴史の興亡」を見ればわかる。
また、歴史の中で出てくるのは裏切り者の存在である。イエスにユダあり。大きな仕事をする人の傍には、その成功を逆手に取ろうとする者もいる。つまり、天使が光の存在であるが故に、闇に堕ちていく可能性もまた背中合わせなのだと思う。

本題に戻って、流されることに焦点を当てると、多数決の悪というものが考えられる。マジョリティは一見正義のように見える。しかし、それは集団心理が働き、安心してしまうことが多いからだ。大多数が自分の側にいると思うと、心強くなりますよね。
そこにつけ入る隙が生まれるのです。そこには個人の意思が介在しないため、「なんとなくみんながそうだから」とマジョリティに流されていく。

結論です。私たちは、悪魔が語っているように、生きている中で「地獄」を作っているのです。だから、悪魔を出し抜くためには、自分で選び、自分の人生を生きなければなりません。

人生は選択の連続です。誰かに流されるのではなく、自分で自分の人生を選びとり、人生を築き上げていきましょう。


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