こころのかくれんぼ 13 【入院徒然日記 ~なぐさめの朝~】
#創作大賞2024
喉のうるおいに心安らいで、ふっと眠りにつく。
だが、1時間もしないうちに仰向けの同一姿勢がつらくなってくる。
点滴を気遣いながら両腕に力をいれて、そっと腰を浮かすたびに尿道カテーテルの違和感と傷の痛みの刺激で目が覚める。
深く長く眠れた感覚がするのに、実際にはほんの30分しか過ぎていない。「早送りで朝にならないかな」と、子供のように非現実的な事を考えてしまうほどに、病棟の夜は長いものだ。
看護師さんが押しているカート。
廊下に響くナースコール。
遠くから近付く救急車のサイレン。
夜の病院の様々な音を聞くともなく聞きながら、夜は明けた。
検温の後に運ばれてきた、朝ごはん。
姿勢を整えるまでに時間は要するものの、ひと晩あれこれと動いて痛みの強くなるポジションを自分なりに把握した成果は現れていた。
小さく「よいしょ、よいしょ」と声を掛けながら、自分自身に「今から動くからね」と構えをとるように伝えつつ、そろそろと座位をとる。
看護師さんがあけてくれたカーテンの向こう側には、薄い雲に覆われた柔らかい朝の空が広がっていた。一晩中見上げていた天井の景色から一転して、世界がパッと広がった驚きを静かに感じる。今日も秋とは思えない程に暑くなるのだろうか…と外の様子に想いを馳せる。
ベッドの上という同じ場所にいるのに、視線が変わるだけでこんなにも見える景色の広がりは違うものなのだ。
横たわり、座り、立ち、そして歩く。
当たり前のように動いてきた一つ一つのことが、自分の見える世界を変えてくれていたことに改めて気付く。そしてふたたび動き始めた今この時から、ゆっくりといつもの日常が始まっていく安堵と喜びを感じていた。
ベッドの背にもたれながら、テーブルの上の食事をじっとみつめる。
白米・お味噌汁・青菜のおひたし・焼き魚・牛乳・お茶。日本の朝ご飯。
最初に手に取ったのはお味噌汁。
お椀の蓋をあけると、お出汁の香りがふわっと漂い、思わず嬉しくなる。
両手で食器のあたたかさを感じながら、ゆっくりとひとくち。
「はぁ〜」と、まるで温泉に浸かった時のようにため息が出る。
力が抜けて自然とほほが緩み、笑顔になってしまう。
こんなにほっとする食べ物は、他にあるのだろうか。
お味噌汁は、まさに「御御御付け」と呼ばれるべき偉大な食べ物だ・・・と、しみじみと思うのだった。
前回は、吐き気が強すぎて食事どころではなかった。
身体を動かすたびに眩暈と共に気持ち悪さが込み上げ、背中をまるめようとすると背部の無数の傷が引き連れて、身動きが取れなかったのだ。
痛みは身体が強張るけれど、吐き気と嘔吐は脱力感と消耗感・身の置き所のなさを強く感じるものだった。いつ戻すか分からないから、安心して横にもなれない。ただ吐く以外に楽になるすべが見つからず、点滴台にもたれかかりながら部屋の中をよたよたと歩いていたのだった。
症状があまりに長く続くと、なぜか頭の中に「ごめんなさい」の言葉が浮かんでくる。出逢った方達がこんなに辛かったと分かっていなくて、ごめんなさい。手術を決めた自分自身に、大きな負担をかけてしまってごめんなさい。早く元気にならないと、周りの人が心配してしまう事へのごめんなさい。様々な気持ちが交差して、半泣きで過ごしていたのだった。
ぽつぽつと前回の術後を思い出しながら食べ進めていると、咀嚼するたびに自分の唇や頬が引きつれる感覚に気付いた。何かがいつもと違う。
「あぁそうだった。顔も縫っていたんだっけ」と思い出し、そっと手を当ててみると、ワセリン混じりのペタッとした血が指先に付く。
顔の中心から右寄りに集中して皮下の腫瘍が出来ていたので、主治医の判断に任せて目立ってきそうな部分を切除してもらっていたのだ。
見渡すと、掛け布団の襟元にも点々と血痕が付いている。
うーん・・・何がどうなっているのだろう。
鏡が無いから見えないけれど、とにかく不意に手で擦らないように注意しよう。今の私が私自身に出来る事は、栄養を届けること、眠ること、傷に負担をかけないことだけだ。
顔の傷も、身体の傷も少しでも目立たなくなるといいな・・・。
少しでも次の腫瘍が生まれるまでの時間があくと良いな・・・。
少しでも普通のからだに近づけられたらいいな・・・。
少しでいい。少しで。
汚れた指先を見つめながらちょっぴり切なくなりかけていると、聞いたことのある音楽がふと廊下から流れてきた。
それは、リストの「コンソレーション:なぐさめ」だった。
なぜ、このタイミングで・・・。
麻酔から目覚めてから今この時まで心細さの中にいた私に、この曲が寄り添ってくれたように感じられたのだ。
思わず目を閉じて「ありがとうね」とつぶやいてしまった。
自分の心が、音楽を都合よく受け取っているだけ。
ただ、それだけなのかもしれないけれど。
音楽は私を慰めよう・癒してやろうなどという意図も何もなく、そこに流れているだけだ。だからこそ、素直に受け取れるのかもしれない。
留まり続けることなく、主張せず、そっと触れて消えていくから。
「なぐさめ」は、どこまでもさりげないのかもしれない。
こころが凪いでいくのを感じながら、新しい朝は静かに過ぎていった。