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こころのかくれんぼ 8      【入院徒然日記~初日その①~】

増えてきた腫瘍を可能な限り摘出するために、昨年は手術と回復に時間を使うことを決めていた。背中側とお腹側。二度の全身麻酔を受ける事になるため、体力的にも傷の回復にもある程度時間と余裕が欲しかったのだ。
発汗や紫外線による傷への影響を考慮して、寒い時期に行うことにした。
1度目の手術の際には、自分の事をこうして発信するとは想像もしていなかったので、日々の詳細は記録に残してこなかった。
2度目の手術の際には、写真を含めて記事にしようと決めてメモを残してきたので、それらを少しまとめながら綴っていこうと思う。


【入院当日】
病棟への入院予定時間は、午前10時。
少しの緊張を抱えながら目覚めた朝の光や秋の冷たい空気が、まるで人生最後に目にする世界のように、いつもよりも優しく輝いて映る。
洗面をして、着替えて、ご飯を食べて、テレビから流れるニュースを流し見ながら洗い物を済ませる。何気ない朝の風景がとても鮮明で、感覚がくっきりとしているように感じる。普段ならば考えなくても動けるような動作のひとつひとつに、心を寄せているからなのだろう。
夫は「タクシーで行きなよ」と勧めてくれたけれど、私は日常を感じながら非日常の病院へと向かいたかったので、あえて電車とバスでの移動にした。「いってきます」と玄関を出て振り返ると、少し不安そうな表情の夫が手を振っている。その姿がなんだか少し幼く見えて、思わず笑って歩き始める。見送って待つ側のほうが、心細いのかもしれない。


通勤時間帯の満員電車の蒸し暑さの中、周りを見渡しながらそれぞれの人の暮らしを思い描いてみる。ひとりひとりに掛け替えのない生活があるのだという当たり前のことを、今いちど深く感じながら「皆さんもいってらっしゃい」と心の中で呟いてみた。それだけで、気持ちが落ち着くのを感じる。
うん、電車移動で正解だ。
いつもどおりって、いいものだ。

病院までは、駅前からバスが出ている。
電車内とは異なり、杖をついていたり、少し身体が辛そうな人が目に留まる。入院のためか大きな荷物を持つ人も多い。
これから同じ病院に向かうであろう人達の姿に「私もこれからです。がんばりましょうね」と心の中で呟く。
600床を超える大学病院には、様々な痛みと辛さを抱える人達がいる。
その人たちもまた、病と共にひとりひとりの人生を歩んでいるのだと思いを馳せながら。

病院に到着したバスのステップから、少し気合をいれて飛び降りてみた。
空を見上げると、淡い淡い水色の秋の色。スッと筆で白く掃いたように、薄い雲が広がっている。
秋風を感じながら、足裏の芝の感触を確かめる。紅葉で色づきはじめた木々を眺めていると、心が落ち着く。
心が和むと頬も緩み、自然と深呼吸がしたくなる。
ゆったりと呼吸が落ち着くと、強張っていた肩や身体の力も少しずつ抜けていく。そのまま静かに、緩んでいる自分を大切に感じてみた。
「うん、大丈夫。よし!行こう」
スッと一本の芯が通ったような感覚と共に、自動ドアへと向かった。


入院する病棟は、前回と同じ。
「ここが食堂で、この角を曲がるとシャワー室。こっちに自動販売機…」
記憶に残っている見慣れた景色の中にいるというだけで、緊張が和らぐ。
前回はひとり静かに落ち着きたくて個室を希望したのだが、入院の期間もそれほど長くはないと判断して、今回は大部屋にした。
窓際ならいいな…と思ったのだが、残念ながら薄暗い廊下側。
既に入院されている方々の様子は、カーテンでしっかり仕切られているので見ることは出来ないが(感染症対策の配慮もある)聞こえてくる会話や物音から、恐らく私が最も早く退院するのだろうと推測する。長期入院の方を優先して、閉塞感の少ない窓際のベッドを用意するのは病院側の配慮でもあることを知っているので、私は廊下側の数日間の生活を味わおうと気持ちを切り替えた。

「病棟内のご案内については、大丈夫ですか?」と、若い看護師さん。
大体覚えていますし、冷蔵庫等の使い方も大丈夫ですよと返答する。
薬を飲んでいないから薬手帳はないよ。
食べ物のアレルギーもないよ。
持ち物には名前を書いてきたよ。
手術当日朝に飲むOS-1も用意してきたよ。
アルコールには弱いから、使用禁止にしてね。
血栓予防の弾性ストッキングのサイズは、Мですよ。
はい、こちらが同意書一式です。

あっという間にオリエンテーションは終わる。さくさくと進む様子に、看護師さんは少し嬉しそう。
うん、わかるわかる。入院説明は意外と時間を要するものね。
ワゴンには、誰かの採血セットが用意されている。
ナースコールも鳴っている。
病棟の朝は、本当に忙しいのだ。

その後も、次々と現れる専門職の方々。
薬剤師、麻酔科医、手術室看護師、担当医・・・
皆さんきちんと、まず壁をノックして下さり私の返答を待ってから、カーテンを開けて入ってくれる。「失礼します」の言葉と同時に入ってくる人は誰もいない。これって当たり前のようでいて、結構素晴らしいこと。

自分の実習中や勤めている時に「失礼します」の言葉と同時に職員がカーテンを開ける姿や、言葉より先にカーテンを開けて既に中に入っている状況を目の当たりにすることが、お恥ずかしいことに結構多かったのだ。
私自身、病棟スタッフや学生さん達に「それじゃもう失礼しちゃってるよ。相手のお家のインターフォンの返答を待たずに、勝手に玄関を開けたりしないでしょう?お部屋とお家は同じだと思おうね」と、まるでお局のように声を掛けたこともあった。「その人の生活の場」ではなく「自分の職場」の意識が強すぎると、振る舞い方を見失ってしまうのかもしれない。カーテンの中は、その人の大切な生活空間だと私は思っている。

ノックの強さも、声掛けのトーンも、カーテンを開ける速さも・・・
毎日の何気ないひとつひとつの動作に、相手への気遣いの心が含まれているか否かは、敏感に届いて伝わるものなのだ。それは患者と呼ばれる立場に身を置くたびに、様々な場面で感じてきたことだった。看護師の立場になった時に「言われたからやる」のではなく、大切な看護観のひとつとして持ち続けてこられたのは、自分自身の患者としての体験が根底にあるからなのだろう。
行動には、必ず自分の心が現れてしまうものなのだ。演技は見透かされる。
隠しているつもりでも、いくら取り繕ったつもりでも、真意は相手に届いてしまうと私は感じている。
なんて偉そうなこと言ってるけど…
自戒もいっぱいこめてます。

つづく

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