浅草の煎餅屋
そのお店というのはボ………もといッ!古~い平屋造りの店構えで、商店街のアーケードの下にありながら瓦葺き屋根だったりしましてね。
いかにも「ウチはアーケードが出来るずっと前からここで商売してるんです!」という謎なプライドが見え隠れするような。
商店街の入り口に位置しておりまして店先というのが団体旅行の観光客を目当てにした大きなお鮨屋さんが何軒も軒を連ねる広い通りに面しております。
雷門や浅草寺を中心とする、はとバスの観光ツアーが昼食タイムで必ず立ち寄るスポットなんですわね。その名も『すし屋通り』………ま、何のひねりもないネーミングでございますけれど。
まぁ、こうした観光ツアーの場合は日帰りのものが多くて、そんな昼食タイムは当然飲み放題……お鮨屋さんですんで予め食べる物は“コース”と称して決まってますから食べ放題って訳にはいきませんからね……でありまして、日帰りとはいえ旅行気分で、しかも昼間ッからお酒を召し上がるってなりますとテンション上がりすぎたオッサンの“たがが外れる”なんて事も想定の範囲内というもの。
さて前述の煎餅屋さん。実はこの観光ツアーの食後にバスへ戻る途中の見学&お土産スポットに組み込まれておりまして、何を見学するかと言いますと、今時滅多に見られない手焼き煎餅の実演でありましてね。
店主は既に息子の代へと譲っております先代のオカミさんでありますお婆ちゃまが一枚一枚丁寧に、店先で焼いて下さるという。
……ま、こうした職人気質(かたぎ)の妻であったお婆ちゃまだけに、
「ウチは煎餅は売っても愛想は売らないよ!」
とばかりにジーッと下を向いたまんま、淡々と煎餅を焼いていくだけ。
その脇で伜である店主が満面の笑みで声を枯らし、宅配便の発送伝票片手に売りまくる、という寸法で。
まぁ、ホンイキの手焼き煎餅を焼いてる所なんて全国各地を見渡してもなかなか見られる場所なんて稀有ですんで、時間になりますというとたちまち黒山の人集りとなります。
お婆ちゃま、専用の鉄板に煎餅の生地を流し込みますって~とターゲットに狙いを定めるゴルゴ13みたいな目で片面が焼き上がるタイミングを見定めます。
そして頃合いを見計らってもう片面を焼こうと生地をひっくり返す事になりますが、これが道具も使わず手袋も装着しない全くの『素手』!
ま、だから【手焼き煎餅】なんですわな。
しかしいくら熟練の、そういう事に慣れっこなお婆ちゃまとて、チンチンに焼けた鉄板と煎餅生地を素手で触るのは熱いどころの騒ぎじゃない。
そこでど~するかッて~ますと、お婆ちゃまったら生地に触れては、
ペロッ!
と、その指を舐めて冷まし、また生地に触れてはペロッ!
鉄板一枚で6枚からの煎餅を一度に焼きますんでね。
許してあげて下さいよ!これやらないとヤケドしちゃうんですから(泣)
しか~しッ!
「コンプライアンスが叫ばれる世の中で、煎餅だからって食品衛生法を知らねぇとは言わせないぞ!!」
と声を上げるオッサンが一人。
例の団体旅行のお客なんでしょう。飲み放題をいいことに、しこたま酒だビールだを飲み倒したと見えて、顔はすっかり茹で蛸宜しく真っ赤っかでございまして、足許はその場にじっと立っていられない程におぼつかない。
周囲を慮る理性も吹っ飛んでおりまして、声も調子っ外れなまま、お婆ちゃまを罵倒します。
「汚ね~な!食い物触るのに指を舐めてんじゃねぇッ!トングを使え!!トングだよ」
ま、ある意味正論ではあるもんですから、周囲のツアー客も添乗員さんも、どう諫めたら良いか分からなくなったというね。