枷(かせ)と強み
『枷(かせ)』というのは小説や映画、ドラマ、演劇などの登場人物に於ける“ままならない事情”の事を指します。
世の中のありとあらゆる物語で枷を持たない登場人物はほぼないと言っても差し支えがない。
例えば大学生の集団が居て物凄く仲は良いのだけれど、A君は学生結婚をしていて子供まで居る。そうなりますと他の仲間達のようにサークルだの合コンだの、ましてやナンパなどにうつつを抜かしている時間もお金も無い、と。
或いはB君は将来的に実家の家業を継ぐ事が決まっているのだけれど家業が好きではなく、とはいえ父親の意向に逆らう事も出来ず、そろそろ就活に勤しまねばならぬ時期だというのに……とか。
実は物語に限らず現実の我々とて、人それぞれなにがしかの事情を抱えて生きているものでもありますわね?
さて、お笑いの世界ですと【萩本欽一】さんは人気絶頂の頃、『下ネタはやらない』という枷を自ら掛けておられた。
これには下ネタを用いれば安易に笑いがとれる……例えば同時期にやはり人気全盛期を迎えていたドリフターズが下半身やお色気を多用していた事を踏まえて……でもそんな安易な手法はとらんよ、という決意表明でもありました。
もう一つには、萩本さんの全盛期というのがテレビ放送が世に定着し娯楽の中心に上り詰めた時代と重なります。
特に東京の芸能事務所に所属して活動する“関東芸人”にとっては常設の演芸場や劇場というのがありませんでしたから、そうなるとテレビの世界で生き抜いて行くしかない。
おそらく萩本さんは当時から、現在のテレビ番組やその他の風潮を予見していたのではありますまいか?
即ち『好感度を下げてはいけない』と。
確かに下ネタを使えば子供や若者を中心に笑いがとれる確率は高いでしょうが、一方で眉をひそめ忌み嫌う人々も居る訳で。
事実、萩本さんは坂上二郎さんと組んでいたコント55号当時、今に言う“ドツキ漫才”並みの頻度と強さで二郎さんにツッコんでいましたが一人になって活動の場をテレビ一本に絞って以降は共演者を叩くような真似を殆どしなくなった訳です。
これも好感度を念頭に置いての事だと思えます。
うがった見方をすれば、彼が発案した『24時間テレビ~愛は地球を救う~』というのも好感度を念頭に置いた産物……なのかもしれません。
しかし、浅草芸人として先輩の萩本さんを抜き去ってドリフターズを追い落とし“天下人”となったビートたけしさんは、
「下ネタを使わない芸人は『だからウケなかったんです』と言い訳が出来る。逆に下ネタを使う芸人はそういった言い訳の利かない所のギリギリで勝負してるんだ」
と真っ向から反論しています。
もっとも、これは萩本さんへの批判や反論ではなく、一部の大御所芸能人が「だから萩本さんの笑いこそが高尚で本物なのだ。それに比べて……」と公に発言した事に対するものですがね。
さて、そういう意味で自ら枷を掛けた笑いと言いますと、ぺこぱさんの“人を傷つけない笑い”が挙げられます。
まぁ、この笑いも世の中のイジメ問題に対するアンチテーゼとして絶賛されましたけれど、今や彼らはネタをやるよりタレント活動の方が忙しいようで。
どうやら枷というのはそれを跳ね返そうとするモチベーション“強み”にもなれば、むしろそれに雁字搦めになって潰されていく文字通り“足枷”にもなるようです。
才能と、それを上回る努力とアイデアで強みへと持って行ければ良いのですが……