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知の探究者・熊楠は、何を見ていたのか?西川勝さん×玉川太福さん対談 熊楠を語る【後編】


浪曲師・玉川太福さんと臨床哲学者・西川勝さん

 博物学者・南方熊楠は、粘菌の研究、民俗学、語学など多分野で偉業を成し遂げた人物です。天才である一方、奇人変人のエピソードも数多く残されている熊楠。2017年に生誕150年を迎えてなお、熊楠の魅力はすたれることがありません。

 2015年4月、「熊楠を語る」をテーマに、大阪・阿倍野オーバルホールで浪曲と講演、対談のイベントが行われました。

 第一部では、浪曲師・玉川太福(たまがわ だいふく)さんが青年期の熊楠の姿を描いた「南方熊楠伝(作・行田憲司)」を生き生きとうたいました。曲師は沢村さくらさんです。
 第二部の講演では、臨床哲学者・西川勝(にしかわ まさる)さんによるお話で、熊楠の生涯にわたる知の探求をたどりながら、学びについて考えました。
 第三部では、西川さんと玉川さんが、熊楠のエピソードを交えながら、熊楠の見ていた世界について語ります。

 第二部の講演を前編、中編、後編に、第三部の対談を前編、後編に分けて、noteで公開します。



前編より続き

●熊楠の人となり 風呂屋の会話

西川:南方熊楠の有名な言葉で「常民」ていう言葉があります。「常民」て。平常の常に、民衆の民ですけど。常民の言葉って、だから要するに、別に大学とかじゃなくって市井の中にある田舎の爺さん、婆さんが囲炉裏端でしゃべるような話をきちっと聞いてきて、それを書きとめていくっていう意味では非常に、いいんですけど。熊楠は角屋先生*1でしょ。
 
玉川:はい。
 
西川:酒飲みながら、ロンドンのパブで話聞いたりだとか、田辺に隠棲というか、田辺にいててもですね、風呂屋にしょっちゅう行ってて、風呂屋の中で、いろんな人と話を聞くみたいな。何ていうんですかね。市井の人っていうか、「常民」っていう言葉を熊楠は使わないんですよ。必ず、床屋の誰それとか、大工の何々、とかっていうふうに。それで写真とかもね、何枚か撮ってあるんですけど、必ず荷物を持ってるヤツの名前まで書いてあったりだとか。何か珍しいもの、珍しくなくっても標本にしてるんですけど。彼は全部、自分の名前にしないんですよ。ほんとに採ってきた人の名前を書くんですね。何の何べえ、何々子ちゃんが、何年何月何日に採ってきたっていうふうに、いわゆる自分の業績にするとかじゃないんですよね。全部いろんな人達と、一緒にやっていくっていうかな。それをきちんと名前を残すっていう。

 そういう意味では、非常に大学とか学校とかっていうような試験制度で、予めこうなんか資格のある人間の中だけでする学問ていうのを非常に嫌って。いわゆる普通ならば、学士は持ってなくっても、中学出てるだけでも凄いことですから、当時。それでアメリカ、ロンドンまで行った人がですよ。何で風呂屋でね、風呂入りながらそこらへんの大工の話聞いたりとか、それをまたきちんとやるんですからね。柳田國男も同じ様に、そういう言葉を聞くんですけども、扱い方が違うっていうことです。

*1:アルコールを好んだ熊楠は、友人からパブにちなんだ角屋先生というあだ名を付けられるほどだった。「ロンドンでは街の角は必ず居酒肆(いざかや)なり。三井物産会社社員の倶楽部の合田栄三郎といふ人、(…)居酒肆を角屋といふ。このことを小生福本誠氏に話せしに、日南『それはよき名なり』とて、小生を角屋先生といふ。」(『南方熊楠全集』別巻1)

●柳田國男と対面した時のエピソード

玉川:学者の同士のなかでは、気がきっと合ったんでしょうね、柳田國男と。さっきの続きですけど。その宿で翌日、柳田國男一人で会いに行くんですけど、それもやっぱりこう受け入れられないといいますか。理由ははっきりとはわかんないですけど、布団に入ったまんま、奥から、「このまんまちょっと話さしてもらうわ」、なんて言って。
 
西川:(笑い)
 
玉川:あまりにもそれは失礼なことで、さすがに柳田も怒ってしまうというか、手紙では伝わりにくい話を本当はしたかったのにできずに、だから対決というか、対面は不発に終わってしまったんですね。でも、何でしたっけ、柳田國男が熊楠のことを「日本人の可能性の極限」とかって言ってる。本当になんでしょう。私、こういうことから人間の脳みそって使ってないところがすごい多いっていうじゃないですか。だから熊楠は、もう使ってない部分なかったんじゃないのかな。
 
西川:大阪大学ですけど、大阪大学に熊楠のね、脳みそがあるんですよ。
 
玉川:あ、大阪大学にあるんですか。
 
西川:何であんなものが、あんなものじゃないけど(笑い)。
 
玉川・客席:(笑い)
 
西川:あるのかなあみたいなね、えっと、昔ね「ブレイン」ていう展覧会*2が、東京かなんかであったんですけど。脳のね標本がブワーと並んでいるでっかいところで、それでね、鼠の脳とかそういうのがビャーってあって、最後に南方熊楠!
 
玉川:あははは、何ですか、人間代表みたいなことですか(笑い)。
 
西川:大阪大学所蔵とかって書いてある。
 
玉川:へー。
 
西川:あんまり意味わかりませんでしたけど。
 
*2:「脳! -内なる不思議の世界へ」日本科学未来館、 2006年3月18日(土)~5月31日(水)

●熊楠を知ることは 熊楠を感じてみること

西川:僕は思うのは熊楠について話し合うって言った時に、熊楠について知るっていうんであれば膨大な資料を読み解くだとか、(ただ)その思考だって読めないですよ、本当のこと言って。昔の字は使ってあるし、色んな外国語が使ってあるし。やっぱり訓練されたもの、「熊楠だけを研究するぞ」みたいなね、それで飯食ってるやつとかね、科研費貰ってる奴は、必死になってやりますけど。そうでない人間はやっぱ、あきらめちゃうよね。

 でも、それを読むっていうことじゃなくって、この小っちゃな字、これでいいんですよ別に。そこから感じられるものがあるわけで、そうやって様々な熊楠のちっちゃなエピソードでもいいですし、熊楠の何か一文に触れるっていうところから。だって熊楠だって粘菌から宇宙が見えるって言ってたんですよ。

 我々も熊楠のほんのちっちゃなかけらのエピソードであれ何であれ、今日の浪曲のですね、太福さんに乗り移った、たぶん乗り移ってます、熊楠がね。そこから感じられた何かをですね、何かみんなで色々話し合うっていうことが、何か熊楠でこの世の中を見直すっていうね、一番のきっかけになるんじゃないかなあって。熊楠の浪曲をされる太福さん、これからドンドン、あちこちで。ロンドンでも是非やってもらいたい。日本語でやってやってください!
 
玉川:先生、すごい、いいまとめになっちゃったじゃないですか。

●浪曲「南方熊楠伝」の作者の行田さんからひと言

玉川:えっと、実はですね、今日のロンドン編の浪曲と、後ろで売ってあります後編の作者の行田憲司(ぎょうだ けんじ)さんがですね、東京から今日実は来てらっしゃいます。
 
客席:(拍手)
 
玉川:なにか行田さん、一言よろしいですかね。
 
司会者:どうぞ前へ。
 
行田憲司:ようするに、皆さんどこに興味を(もたれて来場されたのかなってね。)…今日、非常に(来場者の年代・性別が幅広く)、東京では木馬亭という浅草に浪曲の寄席が(あるんですが)、こんなに美しい方が十何人も女性が、集まるなんてそういう浪曲会ないもんですから。
 
客席:(笑い)
 
玉川:ちょっと、そんな!ないですけど(笑い)。

浪曲「南方熊楠伝」の作者、行田憲司さん

行田:熊楠ってそんなにいい男なのかなって。要するによく熊楠右派から熊楠左派がね、先生もおっしゃっていたように、いろんな学問持ってるもんですから、極限まで追求した人ですから。だけど、どこで皆さん、興味をもたれてるのかなってね。それに私一番興味がある。それで『ためらいの看護』書かれた先生のお話を聞いてダーッと思ったんですけど、先生の本を読ませて頂いてどう熊楠と接点があるのかなと、ずっと考えてたら。今日のお話でお祖父さまのお話をなさって。
 
西川:さようでございます。
 
行田:非常によく分かったんですけど。むしろ分かんなかったらおれ頭悪いのかな(笑い)。例えばそういう入り方だとか。で、もしあの人から奇行奇癖とっちゃったなら、皆さん、こんなに集まるかな。

僕はなぜ浪曲にしたのかというとエレジーを感じるから。ジャズは皆さん、ジャズが好きな人はブルースを感じるから。五木寛之が言うようにブルースはジャズだ、ジャズはブルース。で、僕は浪曲はエレジーだと思っているんです。で、熊楠にものすごくエレジーを感じるんです。それで途中まで、ちょっと熊楠の論文書いてて、人となりになったときに、えっと太福さん特有の清水次郎長伝のフレーズが浮かんできたんですよね。
 
玉川:「旅行けば、駿河の国に茶のかおり」
 
行田:ええ、それが浮かんできたんですよね。そして、その次に熊楠が浪曲になっちゃったんですよ。で、あ、何でかなって自分で思ったら、僕はエレジーを感じたんですよ、彼に。頭の良さじゃなくって。うん、ちょっと悲劇的な。

 あ、ちょっと長くなりました。皆さん、何で興味があるのかなって、非常に興味がある。奇行奇癖に興味があるのか、はっきり言って先生がおっしゃられていたように、学問読めません。「十二支考」なんて、とんでもない本があるんですけども。寅の話読むだけで一ヶ月もかかっちゃう。一日に三、四ページしか読めないんです。

 漢和辞典と英和辞典と、ドイツ語とイギリスイングリッシュと世界中の辞書、見ていても、分からないですよ。全部やってくるでしょ。それと一時間で一ページか二ページしか読めない。結局全部で八十ページぐらいあったんですけども、寅の巻というのは。一カ月ぐらいかかる。そんなの読めませんよね。先生おっしゃられたように、そんな読めない(本を書いた)人にどこに興味もつのかなって思ったんですよ、長くなりましたが。
 
玉川:ありがとうございました。
 
客席:(拍手)

司会者:それじゃあ、ありがとうございました。皆さん、本日は大変ありがとうございました。(終)
 

◆参加者ご感想

(Xより引用させていただきました)


西川勝(にしかわ まさる)
1957年、大阪生まれ。専門は、看護と臨床哲学。元大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教授。現在はNPOココペリ121理事。高校卒業後、精神科・透析治療・老人介護の現場で看護師や介護士として働く。一方で関西大学の2部で哲学を学び、後に大阪大学大学院文学研究科博士前期課程修了。現在は「認知症コミュニケーション」の研究を行いつつ、哲学カフェやダンスワークショップなどの活動にも取り組む。著書に『となりの認知症』(ぷねうま舎)、『「一人」のうらに』(サウダージ・ブックス)、『増補 ためらいの看護』(ハザ)、『臨床哲学への歩み』(ハザ)など。共著に『ケアってなんだろう』(小澤勲編、医学書院)など。


玉川太福 (たまがわ だいふく)
1979年8月2日生まれ。新潟県新潟市出身。浪曲師。一般社団法人 日本浪曲協会理事。師匠は二代目 玉川福太郎。古典演目を継承しつつ、独自の新作浪曲にも意欲的に取り組み、ジャンルの垣根をこえて幅広く活動する。古典演目を継承しつつ、独自の新作浪曲にも意欲的に取り組み、ジャンルの垣根をこえて幅広く活動する。令和4度 彩の国落語大賞・特別賞 受賞。出演作品にCD「浪曲 玉川太福の世界」古典編と新作編(ソニーミュージック)、DVD「新世紀浪曲大全 玉川太福」(クエスト)、CDブック「やる気が出る 外郎売CDブック」(自由国民社)など。https://tamagawadaifuku.tokyo/


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