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LOVEを存じない者たち
不思議と恋愛感情がわからない者に懐かれることがある。
私は昔から恋愛脳であり今も夫に恋をしている。理解こそはないが接する機会が度々ある、彼ら彼女らのお話をする。
私はそういう人を否定しないから、懐かれる。彼ら彼女らは、他者の無理解な態度に嫌悪している。
私は昔恋愛に嫌悪する人たちと関わってた時期がある。
私は当時恋人がいても惚気を発言することは余り無かった。
彼らは私にとっては妖精の様に見えてた。妖精は違う種族を拒んだりするが、同じ種族とは関わりを持っている。
自助というより、横並びの関係が近い。
度々恋愛感情がわからない人達を観察すると「恋愛は暇な人がする者」「性的欲求が強い者」「商業イベントに踊らされてる者」という素直じゃない意見を発している。
ただ恋愛は多数派がする者という認識を共有していた。
ただそんな妖精同士ではあれど、友情の様な物は強く意識してるように見えた。
「恋愛は花でいつか萎れる物、友情は永遠に存在する鉱石の様なもの」と喩えてる人がいた。
当時はそういう考えの人もいると理解してた。
私は「人間関係は全て水物で、川だったり、雲だったりする。だから友情も恋愛も等しく大切に育まなきゃいけない」と思ってる。
だから私は妖精ではなく別の生き物なんだと自覚しその界隈から距離を置いた。
どちらが下等とか上等とか、正義とか不当とかそんなものは無い。
なぜその妖精を嫌ったことも近づきすぎた事も無いのに、恋愛を嫌悪されるのかどうしてもわからなかった。
情がある者に対して強く区別する必要がどこにあるのか、友と恋が何故違うのか教えて欲しかった。
無理矢理に理由を上げると性欲を抱かれることに嫌悪があることが大きな差だ。けれど恋愛ってそんな性欲の繋がりなのか、そんな単純なものでもないと思う。
ただ、私はLOVEを存じない者たちへの居心地の良さも感じている。
好きなものや嫌いなもの、美味しい食べ物や変わる四季、日常の豊かさまた本人が知ってる知識を語るので、恋愛に付随する水甘いが話題にないからである。
私は水甘いに対してどう反応していいかわからない時がある、居心地の悪さすら感じる時もある。
彼ら彼女らにもそういう意味では理解できる、少しだけ。
私は友としてこういう人たちと関われたら、人生が好きになる気がする。
恋だけが世界の全てじゃない事を、私も知ってるからである。
恋を愛しく思う一方で他者も理解できれば、人生が豊かになると思ってる。