雑日記 : 空かずの箱と、わだかまり
段ボール箱をひとつ、ようやく片付けた。
いまの家に引っ越してきてから、
1年半のあいだ、ずっと和室の片隅に残っていた。
すぐに使うものでもない中身が入っていて、
どこに片付けるか決めることができないまま、
なんとなく保留にしたまま、
長らく忘れたふりをしていた1箱だった。
それが今日、
来客にあわせて宅内を片付けたとき、
ようやく、無くすことができたのだ。
箱のことはときどき目につきながら、
ときどきちくりと罪悪感を覚えながら、
ふだんの暮らしに特段困ることもないので、
そこに在った。
たまに、思い立って開けたりもしていた。
それでも、中身の居場所を見つけることもできず、
毎回そのまま閉じ、そのままそこに在りつづけた。
開けているので「開かずの箱」とも言い難い。
「空かずの箱」と当てたほうがしっくりくる箱。
今日は、なんでだろう。
はっきりとこの箱を片付けようと思い立った。
空かずの箱を開けた。
そこから現れた中身を、
すっと、どこかに納めたり捨てたりした。
空かずの箱はあっという間に空いた箱になり、
底のテープを外して、つぶして、
ごみ置き場に重ねた。
箱が、なくなった。
あれだけ、どこにしまうか決められないでいたのに。
今日見た中身は、箱の外にそれなりに居場所があったり、
もう必要ないと、すっきり判断できるものばかりだった。
わたしは
いったい何を後生大事に
箱に詰めたまま、ずっとキープしていたんだろう。
正直、片付ける直前にはもう
箱の中身ははっきりと覚えていなかった。
目の当たりにしたとき、
そういえばこんなものだったっけ…という程度の
ありふれたものしか入っていなかった。
箱はたしかにずっとそこに在ったのに。
空かずの箱の中身は在りながら、
「片付けられないからそこに入っている」
という、箱の中での存在意義を無くしていた。
もはや箱だけが「空かずの箱」としてだけ、
そこでの意味を持って存在していた。
これはもうなんだか、
はるか昔に発生した「わだかまり」みたいだなと思った。
わだかまったことだけはしっかり覚えているのに、
その原因や細かい内容はだんだん風化して
いつかわだかまりのそのものにも
自分の中で片がついているような。
そのことに、ふとした時に気づくような。
自分の中でのわだかまりが
いつの間にか解けていたことに気づくと、
心の空き容量ができたみたいに
ちょっとすっきりする。
空かずの箱も空いて、
部屋がすこしすっきりした。
今日はなんだか気持ちがいい。
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