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「今まで本当によく頑張ったね」自分で自分を抱きしめて、泣いた日。

長男が8歳になった。それは、誕生日でもなんでもない、昨年の秋頃のことだった。長男がなんだかとても幸せそうで、なんだかとてもご機嫌で、「人生って最高!」っていう雰囲気をまとっていた。

何か特別なことを言われたわけでもないし、その日何か特別な出来事があったわけでもない。でも、息子の声や仕草から感じたのは、「幸せだな〜」というメッセージだった。

二人の息子が寝た後、歯磨きをしていたときだった。不意に涙が溢れた。心の中で小さな私が叫んでいた。

「今まで、本当にお疲れ様。よく頑張った。もう、大丈夫。あの子はもう大丈夫だよ。ありがとう。今までありがとう。」

子どもが産まれる前、私は出産を舐めていた。「みんなできてるんだから大丈夫っしょ!」そんな軽いノリで迎えた出産は、「安産でしたね!」とにこやかに言う助産師さんの言葉に絶句するほど、衝撃的だった。

子どもを育てる前、私は育児を舐めていた。小学校で働いた経験から、またもや「子育てで大事なことは大体わかってるから大丈夫っしょ!」とたかを括っていた。長男の赤子の時の夜泣き、母乳、離乳食、どれもこれも目から鱗で、世界中の母を尊敬する毎日を送った。中でも大変だったのは、2歳ちょい前からのイヤイヤ期。私は初めて「私ってこんなに小さい子に本気で怒れるんだ」ということを体験した。嫌と言うほど自分の醜さと対峙する日々だった。

「私は育児に向いてない…ダメな母親だ…」

何度も何度も自分を責め、母親としての自信をなくし、それは同時に「こんな母親に育てられたら、長男はどんな子に育ってしまうんだろう…」と言う果てしない不安にもつながっていた。

「ちゃんと育ってるかな?これで大丈夫かな?」

毎日のように相方に尋ねたり、たまに会う妹や親に聞いたりしては、「大丈夫だよ」と言われ、それでも安心できない私がいた。

楽しい日々があったのは、もちろんのこと。すくすく育っていると心から思うこともあった。だけど、どこかで不安があったのだ。それは、「こんな母に育てられてるから…」という「自分に対する自信のなさ」から来ていたのかもしれない。

だけど、その日は突然来た。なんの根拠もなく、「息子はもう大丈夫だ」と心の底から思える日が突然来たのだ。

その瞬間に生まれた感情は、感謝だった。息子への「幸せいっぱいに育ってくれて、ありがとう」の気持ち。そして、自分へのねぎらいの気持ちだった。


その日から半年ほど経った今も、不思議なことにその気持ちは続いている。息子とは毎日のように色々口喧嘩はするけれど、ベースは軽い。冗談半分なのだ。そして、いつもご機嫌で、「好きなことがいっぱいある!」「やりたいことがいっぱいある!」と言っては、裏紙に自分の「好きなもの」「やりたいこと」をどんどん書いている息子。やりたいことにとことんチャレンジする息子。何か納得ができないことがあれば、とことん話し合って解決することができるようになった息子。

今まで小さなことからまっすぐに向き合い、幼児でもわかるような言葉で話してきたからかもしれない。不器用だったけれど、愛情を持って接してきたからかもしれない。大変だったけれど、「子ども扱い」せずに対等に対話してきたからかもしれない。

まだまだこれからも子育ては続く。でも、一つ大きな山を越えることができた気がする。「子育ては親育て」という言葉があるけれど、長男には本当に鍛えられた。もしかしたら、「出産も子育てもなめんじゃねーぞ!」という神様からのメッセージかもしれない。笑

そのおかげで、子育てに悩むお母さんたちの気持ちが少しだけ想像できるようになった。共感できるようになった。それは、息子にもらった最高のプレゼントだ

これからも悩みながら成長しながら、ダメダメな母親でも一生懸命向き合っていこうと思う。

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