花丸ってなんなんだろう
「おおー、上手にできたね!」
そう言いながら、ある子が書き終わったプリントに大きな花丸を書いたときだった。
その子は、キョトンとした顔で首を傾げて
「なんでこうするの?」
と言って、持っていた鉛筆で私が描いた花丸の上からぐるぐるぐるぐる〜っと何重にも丸を描いた。
その子は、先週初めてここのね自由な学校に体験をしに来た子で、まだ年長さん。
「おひさまのたまご」というシュタイナー教育をもとにした自然保育の幼稚園でのびのび育っている子だった。
読み書き計算を幼稚園でするような時代。
その子は、読み書き計算はもちろん、「誰かから丸をもらう体験」をしたことがなかったのだ。
人生初の「花丸」をもらった彼は、それが「よくできました」という意味であるものであることを知らなかった。
だから、せっかく僕が色々書いた紙に、なぜ赤の鉛筆でぐるぐる描くんだろう?と素直に思って、真似をしてみたのだった。
その時私は、思わず自分が何かとんでもないことをしてしまったような感覚になった。
私は、私のものさしでこの子がやったことに「大変よくできました」という評価を一方的に与えたことに気付いたからだった。
本当にそれが「よくできた」のか「もう少し頑張りましょう」なのか、それがその場にいる私の価値観に委ねられている。
そんなある意味当たり前のことに気付かされ、自分がそんな評価をしていることが少し怖くなった。
曇りのない瞳に真っ直ぐ見つめられ、「どうして丸をつけるの?」と問われた気がした。
そして、別の子にも同じ感情を感じたことがあった。
同じときに体験に来ていた小学2年生の男の子。その子も森の幼稚園、森の学校と、自然に囲まれた場所でのびのび育ってきた子だ。
ひらがなや漢字など、まだ書くのもおぼつかないけれど、学ぶ意欲は山のように高く、何でもかんでも吸収しようと目をキラキラさせている。
その日の「かずの時間」でも、「ぼく、割り算したい!」と言って3年生の問題を解きはじめた。
何問か解き終わった時である。
「丸しようか?」
自然と私の口から出た言葉に、その子もキョトン顔。
「丸?いや、いいよ。間違ってるところがあったら教えて」
ドキッとした。
あまりにも言葉がまっすぐで、シンプルで。
丸をつけるってなんなんだろう?
確かに間違いが見やすくはなる。でも、その一方的な作業にある意味何らかの「圧」がかかってしまうのではないだろうか。
昨日の出来事である。
ここのね自由な学校に在籍している3年生の子が、自主的に休み時間に計算ドリルを開いた。
「ななっぺ丸つけしてー」
言われた通り丸つけをしたら、12問中一問間違えていた。するとその子は、
「わぁー間違えちゃったよー。俺って馬鹿やなぁ。ほんと馬鹿やなぁ」
と頭をポリポリかきながら、席に戻って行った。
その背中に私は何も声をかけることができずにいた。ただ(そんなことないんだよ…)という心の声が胸の中をぐるぐるまわっていた。
丸つけって、なんなんだろう。
他者からの評価って本当にいいものなのか?
そんなことを感じた数日間だった。
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