56歳からの育ち直り⑤
ここでいったん、わたしの絶望を整理しておこう。
もちろん、こうやって冷静に整理できるのは、今取り組んでいる育ち直りが功を奏しているからだ。当時は整理なんて、できるはずもない。
絶望1
女なのに女を好きになったこと。
同性愛を絶望だと言うと、同性愛が絶望じゃない人からバッシングされると思うけど、わたしにとっては絶望だった。
彼女の恋愛対象が男性だというのは、同席した飲みの席での恋愛話を聞いて知っていた。
自分が根本的に恋愛対象外の存在だというのは、キツかった。
異性愛者が同性愛者、あるいは両性愛者に変わることがないとは言えない。けれど、何がどうなれば変わるかなんて、わたしにはわからない。
わたしには、なすすべがなかった。
絶望その2
文字通り、生きる意味を失った。
わたしが生きている意味は彼女の存在しかなかった。その彼女から否定されたら、文字通り、何も残らなかった。
今取り組んでいる「育ち直り」は、この2つの絶望からの回復なのだった。具体的にどういうことかは、順を追って書いてゆく。
まずは、こんな状態でも生きていた理由だ。
それは、端的に「死ねなかったから」だ。
わたしには、この世で最も愛している子どもが1人いる。既に独立、結婚していて、会うのは年に数回程度だけれど、どれだけ離れても、最愛に変わりない。
子どもを思うと、悲しませたくないし、どんな死に方を想像しても、迷惑をかけることになる。
結論として、わたしは死ねない。
結果として生きていた。
就職した介護は、それが好きだから就いたわけではない。ただ、生活のためだ。
だから、決して、仕事熱心ではなかった。なんなら、クビにならない程度に、そこそこ仕事する程度だった。
自分では、そういうつもりだった。
けれど、不思議と、注意や叱責はなかった。その代わり、利用者さんから「ありがとう」と言われることがあった。
仕方なく生きていたので、何がどうなってもいいという心情だった。とはいえ、相手が人間なので、本当に「何がどうなってもいい」わけにはいかなかった。注意しないと、事故になる。
わたしは、自分にできることは、そこそこやった。
気が付いたことは上司に進言もした。疎まれるかもとか、思わなかった。なにせ、何がどうなってもいいんだもの。
思うままに行動していただけだった。
あるとき、「ありがとうと、わたしが言われているんだ」と、気づいた。
それまで耳に入っていたようで、右から左に流れていた言葉が、脳味噌につっかえたのだ。
「ん?」と思ったけれど、そのときは大して気にしなかった。
でも、いったん気づくと、それを言う利用者さんの表情や様子が、目に入るようになった。
わたしは、感謝されているんだと、思った。不可解だった。何が起こっているのか、よく掴めなかった。
わたしは、利用者さんの感謝なんてちっとも頭になく、ただ、思ったことを思ったように、むしろ半ば投げやりな気持ちでやってさえいたのだ。
けれど、ありがとうといわれることは、もちろん、悪い気分ではなかった。
このことが、2つの絶望から少しずつ距離を置ける、きっかけになった。
有り体に言えば、「わたしって、誰かの役に立っているんだ」という、自信が芽生えていた。
これが、53歳ごろのことだった。
<続く>
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