
#8 優しいということ
祖母は 女手一つで母を育てた人でした。
波乱万丈な人生でした。
定年退職をした後は
燃え尽きてしまったのでしょうか
人と関わることもなく
家に閉じこもってしまいました。
あまり丈夫ではない身体を
酷使したせいか
晩年は寝付いてしまいました。
たまに電話で話すことがありました。
生きている意味がないようなことを
口走る祖母を
なんとか励まそうと
言葉を探して探して
祖母が大切な人であることを
伝えようとしました。
祖母は
「優しいなあ」と言ってくれるものの
無理に言わせているんだなと
祖母自身を責めるのでした。
電話の切り際には 身体の弱かった母を
気遣い、気を付けてやってほしいと
頼まれて終わるのがパターンになっていました。
電話の後はむなしさがこみあげてきました。
だんだんと電話がかかってくることが
つらくなってきました。
考えてはいけないことも考えるように
なりました。
それから 私は自分の優しさを疑うようになりました。
子供の頃は無邪気に「優しいね」と言われることを
喜んでいました。
必要以上にそうあろうとしていたと思います。
そういう自分を祖母に見透かされているような
気がしました。
人になかなか関心がむかない私
頭ごなしに人を否定できない私
それはきっと表裏だったのでしょう。
とりあえず「優しい人」でいよう と
その選択しかできませんでした。
身近な人とはしっかりと
向き合わないとだめなんだと
気づくのは20代も後半に差し掛かってから
でした。
人のことを大切に思う
人を大切にする
ということを真剣に考えられるように
なったのは
不妊治療を終えてからです。
それまでは
自分を疑いながら それを受け入れきれない
いろんなことを
とりあえず とりあえず
の選択でやりすごしてしまいました。
自分の中に死んでいく部分があると
実感した時に
「とりあえず」の選択ばかりの自分の生き方を
うすうすまずいと気づきながら
結局、流されていた自分の生き方を
激しく後悔しました。
死ぬのは怖いし嫌だったので
死のうとは思いませんでしたが
自分の存在を消してしまいたい
そう思う日々もありました。
今は
優しいかどうか よりも
向き合っている人に対して誠実であろうと
思うようになりました。
自分を 身近な人を
物を時間を
自分を取り巻くものを
大切にする
それが最優先事項になりました。
そうできていない自分も
今の自分です。
つづく