
空を見上げる
『天を仰ぐ』
『人事を尽くして天命を待つ』
『人を相手にせず天を相手にせよ』
『青天を衝け』
タイトル悩みました。
『天』という言葉はさまざまなところで使われています。
私は、日常の雑多なことや曖昧な情報を見聞きして苦しくなると、天を仰ぐようにしています。星が瞬く夜空もいいけれど、心晴れるパワーをより強く感じるのは、俄然『晴天』の方。(青天でも紺碧の空でも歓迎!)
海を見たり山を眺めたりすることもあったのですが、海を見ていると呑み込まれそうで怖くなるし、山を眺めてると噴火がおこりそうで怖くなるし、今は、俄然『澄みわたった晴天派』です。(雷雨の時は怖いので仰ぎません)
思えば、意識しないと上を向く動作は、日常生活の中でとても少ない。見るのは前か下。今も下を向いて作業をしてるし、目の前には常に自分より進んでいる優れた人が大勢いて、遅れを感じたり。
そして、下と自分の前にいる人を相手にすると、どんどん【おまえダメ】レッテルを貼り付けられる。なぜなら、目立つものは、曖昧なくせに、華やかで無責任でなものばかりだから。
情報を遮断して、空を見上げる。
天を仰ぐ。
天は何もいわない。
『人を相手にせず、天を相手にする。
己れを尽し、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し』
西郷隆盛の言葉。
今は、令和で、生きてる時代は幕末ではないし、戦もない。
だけど、なんだか殺伐としている。
そんな時代、西郷さんのこの言葉を今風に解釈すれば
「自分でよく考えなさい」
ってことなのではないかなと思うのです。
人は、勝手なことばかり言ってきます。
「これは素晴らしくて、これはNG」
「この人はこういう人で、この人はああいう人で」
賛同しないと場合によっては非国民扱い。
土足で入り込んでくる人を相手にしていると病んでしまいそう。
そんなときは、上を向いて
何も言わない空を見上げる。
天は何もいわない。
だから、自分の中から出てくる言葉を待つ。
そうやって、私もまた、
勝手な解釈をして、
勝手なことを思い、
勝手なことを言って、
自分を大切に生きていこうと思います。
お読みいただきありがとうございます。