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この世はホントに不平等

不平等 この世はホント残酷だ ただそれだけの ことなのだから

若松心音

どこもかしこも不平等

 『人の世は不平等』ってタイトルにしたかったけど、この世は人の世のみならず、どこもかしこも何もかも不平等。
もし花が、人と同じ気持ちを持っていたら、
「薔薇になりたかったのに、なぜ名もなき雑草なの?」
みたいなね。
誰かに打ち明けたくても、
「そういうことを考えられること自体、恵まれているからでは?」
そう言われるのはわかってるし、
「そういうことを考えるなんて暇なのね」
なんて、自分でもそう思っているのだから、なかなか言えない。

この世はなぜこんなにも不平等なのか

 このことは、全然答えが見つからなくて、見つけられないまま今世を終えるのかとすら思う。人間の脳がそう考えてしまう所以。根源はわかっているけど、考え始めると鬱々としてくる。
 人の世は、そういうものだと言い聞かせても、鬱々としてしまうことは、けっこうしんどいし、キツイ。栄華を見せつけられたりすると、勝手にムクムクとわいてきてしまうから。
 思考のクセとか、過去のトラウマとか、いろんなものが絡み合ってるらしいけど、陥ってしまったとき、どうしたら、苦しみから抜け出せるのか。
それを探っています。

不平等と思ってしまう原因を分析

 ひとつは、不平等と思わせる情報が、のべつ幕無し勝手に土足で入ってきてしまう環境にいること。
 山にでもこもって一切の情報をシャットアウトすれば、今よりはそう思う機会は減るかもしれない。けれど、日常の暮らしではとても難しい。たとえ、スマホの電源を切っても、新聞をやめても、街へ出れば、電車に乗れば、仕事をしていれば、不平等を感じさせる情報は勝手に入ってくるものだから。情報の洪水に溺れていると言っても過言ではない。
 ふたつめは、不平等と感じてしまうのは、どうも、自分の中にある欲深さからきている。
 わたしだって、もっと認められたい。
 わたしだって、もっと褒められたい。
 わたしだって、もっと愛されたい。
 わたしだって、もっときれいに生まれたかった。
 わたしだって、、、わたしだって、、、
 一番大切にされたいのはわたし。
 一番愛されたいのはわたし。
 それなのに、、、。
そう、物語に出てくる子女と同じように欲まみれ。
この「わたし わたし わたし」というのは、集団生活を営む上では、結構迷惑だし、窘められる。それがわかってるから、大きな声で打ち打ち明けることができない。この「わたし、わたし、わたし」は、もともと生まれ持った思考のクセとか、過去に蔑ろにされたトラウマとか、いろいろあると思うのだけど、放っておくと、どんどん大きくなって、発狂したくなってしまうという、とても厄介なもの。

不平等に苦しんだ時の対処法

 華やかなものや成功したものばかりが目立つ世の中。それをありとあらゆる場所で見せつけられる情報の洪水からは逃れられないし、頭ではわかっているのに、いろんな要因で生じてしまう自分の欲深さからも、なかなか解放されない。
じゃあ、どうしたらいいの?
 結局のところ、そんな中で、もがきながらも、自分自身を励まし、慰め認め、不平等なこの世を、生き抜いていくしかなさそう。そのためには、他人から見せつけされる不平等さを感じてしまう苦しみにどうやって対処していったら潰されないかを考えていかなければなりません。
方法はあまたあるけれど、気を付けないと、その弱みにつけこまれ、騙されたりすることがあるから、方法論は慎重に選択しなければなりません。
わたし自身もこれまで、いろいろ試してきました。

・不平等を感じる情報をなるべく見ない
・自分の暮らしに目を向けるよう努める
・日記に思いを書いてみる
・無理やり忙しくする
・本を読む
・歌を詠む
・瞑想
・座禅
・勉強
・運動
・仕事 etc.
 これらを試すと、完全な解決とはいかないまでも、どん底までには落ちません。しばらく元気に過ごせる場合もあります。
 それでも、世知辛い世の中、またもや、不平等を感じるイヤな情報に出くわして、ムクムクとイヤな自動思考がわいてきて、苦しんでしまうことも多々あるので、今もなお、そうなった時は、これらを試し続けています。

不平等の仕組みを理解しよう

 結局、私たちの生きてる世の中って、生まれた時代、生まれた場所、育った環境、持ち合わせてる能力、才能、容姿、全部違う。その違いを、こっちは良くてこっちは悪いと、その良し悪しを、人が後付けで意味をつけたから不平等ってうまれたのだと思います。
 人間が後付けで決めた良し悪しに振り回されて、人が後付けした「良し」を持っている人を見て羨ましがり、持ってない自分を情けなく思う。そして、人が後付けした「悪し」を持ってる自分に苦しむ。
自分も「良し」がすごくほしいから。自分も同じくらい愛されたいから。
自分も自分も自分も・・・・・。
さっき言った欲深き「わたしわたしわたし」のループに入っていく。
「不平等だ!」
心にそんな思いがわいてきて、イヤな気持ちになっても、その中で、そうなりたいのにそうなれない自分を、なんとかやり続けていくしかないなんて、まさに修行そのものだね。
 でも、きっと、その思いは「良き」体験のひとつになると思いたい。
「良き」ものは、持ち合わせていなくても、「良き」体験はできる。
そう思わないと、やっていけないこといっぱいあるものね。

それでも生き抜いていこう

 不平等で 残酷で いやだなぁと思うことは多いけど、それでも、
「なんとか生き抜いてやったぜ!」
そう明るく語れるように、これからも不平等だなぁと思う気持ちを抱えながら自分を生きていこうと思う。

こんな不平等な世の中を、
あまりに眩しく輝く栄華を見せつけられても、
しょうもない自分を実感させられても、
それでも自分をやってる自分は、すごくえらい!


 
お読みいただきありがとうございます。
                     心音




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