救われるのをやめる
※ ニコニコブロマガからお引越しして掲載。
私の中の不思議な存在と対話する。
セルフトークですが、これは私にとっては高次存在とのおしゃべり。
その存在が言うのだ。
「救われたい」
「助けて欲しい」
と思っているところに救いも助けもないのだよ。
例えば、君はシミやソバカスを気にする。
美しくなりたいと思う君がいて
その願いを満たしてあげたいと思う誰かが
例えばエステサービスを提供する。
それはおそらく、愛からだろう。
私の観点について述べるなら、
シミやソバカスがあってもなくても人は変わらず美しいということ。
そもそもそれを消す必要なんてないと思う。
あなたはいつから、シミやソバカスを消したくなったのだろう?
それは、作られた需要の可能性だってあるんだ。
「救われたい」と思って生きているところに、救いなんてないのだよ。
救われる必要などないことに気づけばいいだけだ。
君はまず「自分は救われるべき存在である」という幻想から抜けるのが先だ。
あなたが欲することなど、本当はそんなに大してないのだ。
自分自身も含むあなたが生きるの世界の全員が
幸せであること。
制限があれこれ取た者が持つ欲は
これなのだよ。
そのために「私たち」が欲していること「私たち」が手に入れるべきものは、まだまだ、たくさんある。
世界を見てごらん。
「私」の定義は、あなたが思う以上に大きいよ。
最近、いろんなことにこの話を当てはめて考えています。
2013-11-14
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