生命の質、生活の質、人生の質。
(元のURL:https://www.dtto.com/f/jp_study/p/241899043?ref=ios )
今年から、資格取得に向けて学部で学ぶ内容が本格化し始めました。
4月は「子ども」や「人間」、「子育て」や「発達」という観点から学びを深めました👩🏻🍼👨🏻🍼
そんな中で、印象に残ったものが多々ありました。
「人間とは、生涯にわたって発達し続けるものだ。」
と、子どもの発達や人間の生涯発達を研究してらっしゃる先生は仰います。
私たち人は生物学的に見ると、だいたい私たちくらいの年代を境に、「老い」へと向かっていきます。
女性の身体をもつ私たちは、いずれはホルモンの減少と戦っていくことになるし、出産においてはリミットを抱えています。
私たちが移ろい変わりゆくのは、若々しい子ども・青年時代だけなのか。
幼児期決定論に抗うことはできないのか。
本当に年老いたら、人間は変わらないのか。
変わるとして、その変化はマイナスなものばかりなのか。
そういったことに一石を投じるのが、
「人間の生涯発達」という概念なのだそうです。
こうも仰ってました。
「人間の発達は、行きつ戻りつする。回り道もする。右肩上がり一直線の発達を想定するから苦しくなるのですよね。」
少し堅い言葉を使ってしまうのですが、人間の発達は、変化は、
正規分布のような山なりで考えるのではなく、
弁証法的な、階段式で考えるのが適切なのだそうなのです。
(だいぶん噛み砕いてしまっているので、適切な表現か不安😇)
↑こうじゃなくて
↓こんな感じ。時に遠回りもするし、それは決して悪ではない。
わかりやすい例えでいうと…
恋愛なんてどうでしょう(最近恋愛の話ばかりしてる😓)
Aさんとお付き合いしていて、それなりに衝突したり反りが合わなかったりで、別れてBさんと付き合ったとしましょう。
この時、Aさんとのお付き合いは決して失敗などではなく、経験として蓄積される。きちっと向き合っていたのであれば、自分という人間の肥やしになる。
誰だったかな…「いま目の前にいる彼女は、いろんな人と付き合ってきたのかもしれないけれど、そのどの1人がかけても今の彼女はいないから、元彼には嫉妬してないし、むしろ感謝してる。」的なこと言ってたカップルがいたんですね(確か)。
恋愛も人間関係の延長線上にあるので、人の発達がまっすぐ右肩上がりの直線にならないというのは、人生観・人間観が豊かになる考えであると私は感じています。
別れは失敗ではないし、失敗したと思っても必ず糧になるし。うまくいったとて、必ず葛藤することはある。
「人生、山あり谷あり、波あり凪あり」
ということもできるかもしれません。
これに付随して、こんなふうにも学びました。
「生命の質と生活の質は、人生の質とは比例しない。」
生命の質。男に生まれたのか、女に生まれたのか。健康体なのか、そうでないのか。若いのか、老いているのか。
生活の質。貧しいのか、豊かなのか。先進国なのか、発展途上国なのか。
これらは、個人の人生の質を必ずしも決定づけません。
持病を持っていたって、その人の人生が不幸せとは限らない。
貧しいからといって、その人が幸せじゃないと決めつけることはできない。
私は、一人暮らししたての頃の、豆腐やら芋やらで質素に生活していた時が、めちゃくちゃ楽しかったのを覚えています。
自分の力で生きている気がして。
小さなことにも幸せを見出せる自分を感じることができて。(カズレーザーもなんか似たようなこと言ってたな)
不眠や食欲不振で悩んでいた頃も、辛かったとはいえ、あの頃があってよかったと思っている。人の温かみを知れたし、自分がとてもしなやかになった。
心身ともに健康でも、やりたいことをやって裕福に暮らしていても、いくらだって不幸になることはできる。不幸には底がないから。
人生の質は、その人生を生きる人に依拠するのであり、それは決して、薬や金が永久保証してくれるものではない。
こう学んだ時、
「私は、何を肩肘張って生きてたんだろう。」
と感じました。
上昇志向はもちろん大事です。目標は人生に指針を与えるし、誰だって右肩上がりにトントン拍子で幸せを掴んでいきたいはずです。
でも、意外と人は、そうやって手に入れる幸せには、満足しない。
父は昔、私が中学を卒業したとき、プレゼントしたい「漢字」があると言いました。
躓。
つまずく、と読みます。
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いいか、いくらでも躓くんだ。死なない程度に転べばいい。まだ若いんだ、いくらだって起き上がれる。
躓いて初めて、そこに引っ掛かりがあることに気づけるし、それをなくすためにはどうすればいいのか、悩み始めることができる。
悩んでいる時に、ひとは1番変わるんだ。
だからこの先、たくさん悩め。
それが光の人生を1番豊かにするんだよ。
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父くらいの歳になれば、ときには一度の転倒も致命症になりかねないのでしょう。いつかは、躓づいてもスムーズな足運びができるようにもならないといけないのかもしれない。
けど、人間の発達は躓きだらけの方が豊かになる可能性を秘めている。
綺麗な、お手本のような人生なんてないんだよ。
こういう風に考えた時、
「いつか家庭をもつときは、
"いい家庭"にしないと。」
そう思っていた自分が少し馬鹿らしくなりました。
いいか悪いかは、誰が決めるのか。
家庭を構成する一人ひとりに決定権がある。母になる私だけが独占してよいものではない。
意気込みすぎてたなと思ったのでした😌