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人間は、………。


(元のURL:https://www.dtto.com/f/jp_secrets/p/240952545?ref=ios )
20230107

先日、帰省のついでに大阪の美術館の展示を見に行きました。
最後にちゃんとチケットを買って見に行ってから1年経とうとしてたので。
実に久しぶりの美術鑑賞。

お目当ては、ミュシャによる煌びやかな作品たちでした。
細部まで緻密に描かれた華やかな作品たち。
寝不足の脳みそで回廊を3周はしてしまいました。
見てて飽きない。
それもそのはず。
ミュシャの絵は「理想化」のプロセスを経ている。
少年漫画などの2次元で、女の子が現実離れしてすごく艶やかに描かれるアレと一緒です。
じっくり見ても、遠目に見ても美しい。
なるべく実物に近いものをカメラで写し取ろうと必死でした。
彼の作品のポストカードを数枚、買って帰りました。

『椿姫』
『つた』『月桂樹』
(あまりに人気を博し、生きているうちに全ての注文に応えられないと悟ったミュシャは、自身の作品集を残しました。これはその一部。彼の作品はしょっちゅう流用されたよう。)





実は、この展示会にはもうひとり、
画家の作品が展示されていました。
ロートレックという画家で、
彼の作品は抽象度が高く、
見てて綺麗には見えない。
ミュシャと並べればありありと感じる。
私は、彼の作品は一枚も写真に撮りませんでした。
ミュシャの方が好みだと。
そう、思ってた。

3周目で初めて、音声ガイドを聴きながら鑑賞しました。
某イケメン俳優が音声を務めていたのもあるけれど…
彼がロートレックの作品の解説を始めてしばらくして、

「人間は、醜い。されど、人生は美しい。」

この台詞が耳に飛び込んできて、息を呑みました。
その瞬間から、ロートレックの作品の見え方が変わりました。
ガイドを聞かずして美術館を去っていたことを想像すると、身震いするくらい。

ロートレックは、ある意味写実的なのかもしれない。
人間の「醜さ」そのものと向き合っているのかもしれない。
だとしたら、
なんて、美しいんだろう。

彼の作品は、初見で確かに生々しさを感じました。
見るに耐えない、と言ったらとっても失礼だけれど、事実、1、2周目は素通りしたくらいです。
ミュシャばかり見ていました。



いま、とっても後悔しています。
なんで一枚も撮らなかったんだろう、と。
もう一度、彼の作品をこの目で見たい。
そんなふうに、人生で初めて思いました。

美術館に残るような作品を残した画家の目に映る人間が、
決して美しくなかったこと。
なんだかどこかで、ホッとしました。
世界には美しくないものがあっても、
それを美しく描き出す人たちがいるのだと思うと、
彼らの凄さがやっと分かった気がしました。



彼は体が弱く、幼くして両足の成長が止まったため、成人にして身長は152㎝。
ミュシャとほぼ同時期に注目を浴びたにもかかわらず、
ミュシャが全盛期に至る頃には
アルコールに侵されて亡くなっていました。
そんな彼にしか、
ここにある絵は描けなかったのだと思うと、
美術とはとても奥が深いのかもしれないと。
素人目にして思います。

彼が描いた、当時とても美しいと評判になった娼婦の絵。
この絵が、忘れられません。
とってもシンプルな絵でした。
人間の真の美しさを見据えるロートレックからすれば、彼女の美しさを描くなんて野暮でしかなかったのかもしれない。
描くだけ無駄だ、と。
描かなくたって、彼女は美しかったのかもしれない。
残念ながら、この絵はグッズ展にもなかったので手に入れられませんでしたが…。



美術館で言葉に触れる。
画家らの人間性に触れる。
歴史をこの手で撫でた気分。
新しく面白い体験でした。
これなので、美術館をバカにすることはできないなあと感じます。

(※筆者は美術知識0のど素人です。全部音声ガイドの受け売りです。)

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