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「世の中に自分という役割を作りたい」と思ってmentoというスタートアップに飛び込んだ私の現在地点

こんにちは。mentoでマーケティングをやっています、こちゃんです。

前職は広告代理店のストプラ、そこからスタートアップへ。
転職の経緯は、前職の博報堂を退職する際に書かせていただきました。

「やりたいことをやって生きていくのだ!」と決めて、安定した前職からスタートアップという変化の多い環境に身を投じた昨年の9月。
1年たった私の、リアルな現在地点をお伝えします。


「わたしの居場所ここであってる…? 」という不安しかない最初の半年

mentoにジョインしてから1年たちますが、いろんな役回りを経験しました。

  • カスタマーサクセスを少しかじる:顧客の継続判断に至る要因を作るための施策実施やレポート作成

  • カスタマーサポートも少しかじる:利用促進や不明点のご案内

  • 商品開発もやってみる:コーチングというハイコンテクストな商材を導入しやすくなるためのパッケージング

いろいろな役割を通じて、事業を立体的に理解できた1年でもありました。
一方で、Qごとに自分のコミットが少しずつ変わる環境で、戸惑いがあったのも正直なところです。
特に、最初の半年感は不安が大きく、ずっとこんな言葉が頭に浮かんでいました。
「自分の居場所は本当にここなのだろうか?」

一方で、「自分の居場所を自分で作るために、スタートアップという環境を選んだんじゃないの?」という脳内会議は常に開かれていました。
頭では十分理解していても、それでも、感情の部分では不安や怖さの方が圧倒的。

覚悟をもって決断したからこそ、「もしかして、見誤ったのかも…? 」
と、自分が選択を間違ったと思ってしまったら、もう立ち直れないという怖さでいっぱいいっぱいでした。

「やりたい」という内的動機を起点に、「外部からの期待」の外的価値に接続するむずかしさ

前職は広告代理店のストプラで、そこからスタートアップで何でも屋。

最初のmentoでの活動は、キャリアの軸足を置いてきたマーケティング活動からやや距離もあったので、自分の仕事アイデンティティをどこに置けばいいのか迷子状態だったのだと思います。

外から期待される価値である「外的価値」と、自分の中から湧き出る思いや衝動である、「内的動機」を繋げる活動。
それが社会というフィールドで自己実現することです。

出典:MIMIGURI 『新時代の組織作り』 オンラインセミナー

「この内的動機に従って行動してみたら、自分が想定していたのとは異なる外的価値や期待がありそう」
「ただ、この外的価値は本当に自分が目指す方向と一致しているのだろうか…?」

そんな迷いの中で仕事をしているので、自分が理想とするパフォーマンスからは程遠く。

これまでの自分の行動原理であった、「外的価値を先に捉えて、そこに自分の内的動機を合わせていく動き」とは全く異なる動きなので、戸惑って当たり前だったし、経験したことのない感覚だから、迷子でしかるべきなんですよね。

WEという感覚と、自分を大切にすることは両立するのか。

「mentoは、私たちで作っていくのだ。」
それは今、自分の中でしっかりとある感覚です。
ただ、「WE-私たち-」という感覚を持ちすぎるがゆえに気分転換すらできなくなっている自分がいました。

仕事の合間に散歩にいくことすら罪悪感を感じる。
ランチは常に30分ですませること。
この隙間時間に、少しでも前に、できるだけ多くのことを進めたい。

良く言えば、事業を進めたいという切実ですが、それを強く持ちすぎて、自分を大事にすることがすごく難しくなっていました。

1年間は52週で構成されています。
この52週を、52週しかないと捉えるか。
いや、大丈夫、52週で達成していけばいいと思えるかで全く違います。

52週を総当たり戦のように考え、常に勝ち続けないといけないと思っていました。
でも、人間に波があるように、組織や業績にも波がある。
大丈夫、勝ち越し地点を作って、トータルで勝てればいい。

今やっと、少し長期的に構えられるようになってきたのかもしれません。

「WE-わたしたち-」という感覚を意識するがゆえに、自分自身を大事にできない。
じゃあ今度は自分自身を大切にする方向に振ってみて…
そんな振り子の状態が今の私です。

結局は、「自分という役割」は世の中に作れることを証明したい。

正直、「やっぱり、自分ここにいるべきではないのだろうか?」
まだ、そう思うこともあります。

そんなときに、定期的に思い出すのは、
「自分という役割を、世の中に作る事をあきらめていいのか?」と問いです。

今まで「自分の居場所ってこの世の中にあるんだろうか?」そんな疑問が常にありました。
この感覚は、もしかすると、両親が海外出身であることが由来しているのかもしれません。

自分のやりたいことを世の中の既存の言語で語る必要はない。

わかってはいるけど、それがなかなかにしんどい。いちいちj分を証明することに、疲れてしまう。
だからこそ、外からの期待に、自分の動機やモチベーションを合わせればいい。そう思っていました。

でも、それをやっているうちは、どこか自分の人生を他人のせいにしてしまう。

思えば過去の自分は、一つ自分の思ったやり方で試して、周囲から批判を浴びたら、おどおどとその方法を取り下げてしまう。そんなスタイルだったかと思います。

そんなやり方から、そろそろ私は脱出したい。
私は今、自分のアイデンティティを社会に対して表明する訓練をやっている感覚があります。

自分という役割はちゃんと社会に作れるのだ。
何かのスタイルにフィットしようとしたり、自分の形を変えずとも、生きていくこと、そして働いていくことはできる。

トンネルは長く、成果という形でのフィードバックは常に怖いです。
好きに生きる、のは自由気ままに聞こえますが喜びと恐怖が背中合わせの中で、その矛盾をなんとか抱きしめているような感覚の方が近いです。

そんな、社会の中に、自分という役割を作る旅の最中です。


【余談】
わたしの現在地について、mento.fmでも語ってみました。もしよければ聞いてくださいな。

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