【you+】「ここの席空いているよ」野球場でのおばちゃんとの出会いから「横山君」と呼ばれるまで
「おばちゃん!」
大阪では親しみを込めて、使う人が多いです。
ただ、自分にとって、そう呼ぶ人は本当に少なく、家族でない人ではたった一人。
そのおばちゃんとの出会いの話です。
現在、私は42歳。
個人で人と関わる仕事をしながら、日々いろんな方と出会い、オンラインでつながり、楽しく自分らしく生きています。
30年ほどの自分自身を想像すると考えられませんね。
実は中学1年の後半からあまり学校へ行かなくなりました。
「制服がいや」
「勉強が面白くない」
「なんか、いや」
3つ目の「なんか、いや」はかなり抽象的ですね(笑)。
中2・中3はほぼ行っていないので、高校受験手前の内申書はほぼ1。
勉強もあまりしていなかったので、普通科の高校には入学できず通信制高校へ。
友達がいない。
知っている人がいない。
高1の桜が咲く頃、さらにここから始まる時間を想像するとただただ寂しい気持ちに。
「孤独」を感じる時間が本当に長かったです。
そんな中で、唯一の心の拠り所はプロ野球。
当時、近鉄バファローズというプロ野球チームがありました。
残念ながら2004年にチームが合併により消滅。
学校へ行っていない中学時代・通信制高校の時代。
日中暇でしょうがありません。
今のようにネット・スマホという時代ではありません。
一人になると音楽を聴くぐらい。
だから、昔からファンであったバファローズの応援を藤井寺球場まで足を運ぶのが楽しくてしょうがありませんでした。
実家から自転車で大体35分ほどで球場へ。
当時の近鉄バファローズはあまり人気がなく、弱い時はお客様もまばら。
そこでは野球観戦以上に楽しい時間を過ごせました。
「ちなみに、プロ野球観戦をされたことはありますか?」
行かれたことがある方はわかるかもしれません。
一人で行くよりも同じチームのファン同士で応援して、話をするのがやっぱり楽しいです。
ただ、藤井寺球場へ行っても一人。
応援で声を出しても、何か物足りなさがありました。
そんな時、あるおばちゃんに声をかけてもらいました。
「ここの席、空いているよ」
「あっ、ありがとうございます」
最初は名前も知らないおっちゃんとおばちゃんとの会話。
平日の16時過ぎに毎日のように行っていたので、人が少ないこともあり目に入ったのでしょうね。
制服を着ているわけでもなく、学校帰りにも見えない。
ただ、招いてもらってから、その後、ご一緒することになりました。
一緒に観させてもらうようになってから、より藤井寺球場へ通うのが楽しくなったのを覚えています。
そして、一人、二人と知り合いができて、段々とみんなで野球を見るコミュニティに。
それが本当に唯一の心の救い。
まさにオアシスでした。
今、思えば野球を観に行ったんじゃないと思います。
話をしに行っていた場所。
知っている顔にまた出会える場所。
中学・高校とほぼ友達がいない。
だから、同じものを見て、笑って、喜んでそんな単純なことが楽しくてしかたがなかったです。
そして、やっぱり喜びを感じたのは
「横山君!」
と呼んでもらえたことでした。
生きていて、私を知ってくれている人がいる。
年間40試合50試合と観に行く目的はそこにもありました。
「身近に知ってくれている人がいる」
学校に行っていればもしかしたら当たり前のことかもしれませんが、誰にも知られていない状況になるとそれが一人でもいてくれるのがどれほどの幸せか。
その声掛けがどれほど心をあたためるのか。
実感した出来事でした。
ただ、高2・高3になる歳のタイミングで年次に通い続けた藤井寺球場も移転となることがわかっていました。
通信制高校も退学。
その後の進路も決めきれず。
でも、やっぱり将来も生きていきたい。
そして、少しずつでも前へ前へと進めて行くことができました。
その後、時間は掛かったもの20歳手前で大検を取得。
短大、大学3年次編入と進む、大学を卒業できました。
さて、大阪ドーム(現在の京セラドーム大阪)へ移転したのが1997年。
その後、2004年まで近鉄バファローズがあり、おばちゃんと回数は減ったもののおばちゃんと野球観戦は続きました。
大学へ行っても、野球を見るよりしゃべりに行く場所。
それは変わりなかったです。
ある時、聴いたことがあります。
「(出会ってすぐの時)学校はどうしたのとなぜ聞かなかったのですか?」
実は一度も聞かれたことがなかったんです。
「言いたくなったら何か話をしてくれるんじゃないかなと思って」
最初は名前も知らない人。
そこが、いろんな大人の人と出会う場所。
挨拶も覚えました。
可愛がってももらえました。
甘えさせてももらいました。
10代後半から20代に入るうえで、人として成長させてもらった人、人たち。
その後も自分の人生は紆余曲折ありましたが、10代中盤・後半に一人だと思いこんでいたところから友達ができました。
年齢は離れていても友達です。
ご縁が広がる体験はやっぱり忘れることができません。
そして、
「あきらめたくない」
との思いやどこかで可能性があるのではないかと思いを育めた時間でもありました。
「横山君」
ふと、その声を今でも思い出します。