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【KoKoKaRa#11】Bリーグ B2 バンビシャス奈良所属 本多 純平選手
今回、ご紹介させていただくアスリートはプロバスケットボールリーグ B2 バンビシャス奈良所属の本多純平選手です。(本当、ナイスガイ!)
本多純平さん
生年月日:1988年12月7日
出身地:富山県小矢部市
MBTI:ISFJ(擁護者)
身長:190cm
体重:88kg
バスケットボールを始めたきっかけ
【バスケットボールを始めたきっかけを教えてください】
小学生の時はスポーツに無縁の小学生でした。
中学生に上がったらソフトテニス部に入るつもりでしたが、仲の良い先輩がバスケットボール部に所属していたのがきっかけでバスケットボール部に入部することに決めました!
【そうなんですね!現在、190cmと大きいですが中学時代の身長はどれくらいだったのですか?】
中学生の時の身長は小さくもなく大きくもなく、中学3年生のときは165cmでした。
まさに平均身長の男って感じでした。
【部活動の戦績とかはいかがでしたか?】
小学生、中学生の時代、部活で特筆すべき経歴はないんです。全国出場とかは遠い目標でした。
ただ、それでもバスケットは大好きでした。
中学3年間でよりバスケットへの気持ちはより高まっていきましたね!
高校は強豪校に進学?!
【となると高校は強豪校に進学を?!】
はい。そうです!といいたいところですが、違うんです。
当初は県内でバスケットボールが1番強い高校へ進学する事を自分の中で決めていましたが、バスケット推薦はもらえず、普通に推薦受験しました。ですが、結果は落ちてしまいました。
そこで滑り止めとして希望していた私立の高岡第一高校を受験し進学することに決めました。
高校でも思うような戦績を残せませんでした。
大学時代
【大学でバスケットはやられたのですか?】
はい!やりましたね!
大学は東京成徳大学という千葉県にある大学に進学しました。
高校の監督と成徳大学の川北監督が仲良くて、勧めていただき成徳大学へ進学を決めました。入学時、成徳大学は3部リーグでしたが、4年時に2部への昇格を決めて卒業を迎えました!
プロバスケットボール選手へ
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【その後、プロの道へ進むわけですがどのようにしてプロの道へ進んだのでしょうか?】
大学4年時にプロの道(当時はBJリーグ)へ進む!と自分の中で強く決めていました。
どこのチームにも引っかからなければ諦めて地元の富山に帰って就職することも決めていました。
ところが、BJリーグ(現Bリーグの前身リーグ)のドラフト会議で全体5位になり、現B1の滋賀レイクスターズに指名され入団しました。
【すごい!ドラフト全体5位はすごいですね!】
正直、嬉しかったです!
何よりも大好きなバスケットを続けられる事が嬉しかったです!
【その後はどのようなプロの経歴を歩んでいるのですか?】
滋賀レイクスターズには約2年お世話になりました。
その後はバンビシャス奈良に7年、ライジングゼファー福岡に3年、そして昨年、バンビシャス奈良に改めて声をかけていただいて今は2年目になります。
本多選手が立ち上げたアパレルブランド
【そういえば今、ご自身のブランドも立ち上げているのを拝見しました。どういったきっかけがあって立ち上げられたのですか?】
そうですね。ブランドなんていうとおこがましいですがやっています(笑)
特に深い意味はなく、僕自身、服が大好きなので、アパレルやってみたいなと思い始めてみました。
アパレルってすごく難しいなと感じました!
自分が着たいと思ったものだとダメなんだなと、、、
今は次の展開に向けて色々と考えています。
そして様々な消費者に商品を届ける事の難しさを痛感しました。
今、お陰様で本業のバスケで忙しくさせてもらっているので落ちついたら腰を据えてやりたいですね!
今後のキャリアのためにしている事
【ちなみに何か今後のキャリアのためにしている事はありますか?】
そうですね!
年齢も今年、36歳になります。
そのため、今後の事も考えています。僕は順風満帆なバスケット生活を送ってきていないと思っています。
今までのバスケ人生は大小、様々な壁にぶつかってきました。
良いことも良くない事も本当にたくさんの壁にぶつかりそれを乗り越えてきた自負はあります。
この経験を活かしてバスケットが好きな子供たちに他にスクールでは教える事のできない部分を教えていきたいと思っています。
プロになって痛感した部分とは?
【他のスクールでは教える事ができない部分とは具体的にはどのような事なのでしょうか?】
バスケットのプレイに対するスキルの部分は当然ながら自信をもって教える事はできます。
僕がプロの世界にはいって痛感した箇所はファンダメンタル(バスケをプレイし続ける上での基礎、基本となる部分)です。
学生時代を振り返ってみると足りてなかった部分だと痛感しました。
このファンダメンタルの部分を吸収する力が高い、子供の時に重点的に教える事のできるスクールを開校していきたいと思っています。
【私たちKoKoKaRaのサポートアスリートである藤岡麻菜美さんも同じ事を話していました!
やっぱり、基礎基本となる部分はスキル以上に大事な事なんですね。】
やってみないと何もわからない
【今後のキャリアの事について不安などはありますか?】
はい!もちろん不安はあります。
ただ現役から引退するという引き際もわからないのも事実です。
身体が動く限り、第一線で戦っていく覚悟はあるので!
引退をすることにより、家族へ贅沢ではないけども何不自由ない生活を送らせてあげる事は
できるのか?などたくさんの不安があります。
だけでも家族も協力してくれているので、やってみないとわからないのでやりたい!と思うことに関してはチャレンジはし続けたいと思います!
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インタビューを終えて
本多さんへのインタビュー中によく出てきていた言葉は「今までのバスケ人生でたくさんの壁に立ち向かってきた」という言葉。
この経験がある事にプラスして、本多さんの芯の強さで今後のキャリアについてやり続ける、やり切るという覚悟があるんだなと感じました。
今後、必ず訪れるであろう本多さんの第二の人生が楽しみです。
これからもKoKoKaRaは本多さんの今後の活動を全力で応援していきます。