行動してみなければ、きっとわからなかった
自分の(活動の)ために、誰かがメッセージを書いて応援してくれる
自分の(活動の)ために、誰かがお金を支援してくれる
自分の(活動の)ために誰かが・・・
それを受け取る時、自分がどんな気持ちになるのか、
行動してみなければ、きっとわからなかった。
家族以外の誰かの時間、エネルギー、お金をいただくことなど、きっとあってはいけないことだと思ってきた。
それを誰かにお願いする日がくるなんて。
そして、人がこんなに優しくてあたたかいなんて。
そのご厚意が、こんなにも有難いなんて。
メッセージが届くたび、お金をご支援いただくたび、私は自分の感情に潜り込み、ひと時でも寄り添ってくれたその方への想いに浸る。
「自分にはできないから、行動してくれてありがとう」と、感謝を届けてくださる方もいらっしゃる。
私の活動の目的に共感、賛同してくださった方が、ご自身のブログで、心のこもった想いを綴って一緒に広めようとしてくださる。
いい加減だった自分は誰かから信頼されるに値する人間ではないと、どこかでそう信じていたようで実感が湧かなかった。でも行動の動機だとか、実行するために思考を練っていくうちに、祈りが生まれ、行動の先にある、実現したいことへの想いに真剣になっていった。
もしかしたら、信頼される自分というものを受け入れても良いように、行動が私を変化させていってくれているのかもしれない。または、私に力を貸してくださる方に信頼を抱く部分を吸収して、見えないところで変容していっているのかもしれない。
行動・・・まだはじめたばかりだけど、起こしてみてよかった。
行動の目的を理解し、支え、実行できるよう力を貸してくれる仲間がいたからできている。
決意と依頼
さかのぼること約3か月前、コルクラボに入ったことと、あるテーマの原稿を出版したいと思ったことがきっかけとなって、計画は動き出した。
いわゆる“メタ化”して、見る人が共感、賛同、自分ごと化できて、協力してもらいながら本づくりをしていく、つまり共創するにはどうすしたらいいのか・・・、7月の終わりから考え始めていた。
本はつくれても、その存在を知ってもらうのは簡単ではないから。
具体的にどうしたらいいかを知りたくて、とにかくまずは佐渡島庸平さんの、「WE ARE LONELY BUT NOT ALONE」やnoteを読んだ。
そして、ひとりずつ、協力してもらえる仲間を増やしてくことが不可欠であることに直面した。
人に頼ることへの苦手さが拭えず、一歩を踏み出すのに、いちいち身体が固まって動けなかったが、それを振り払わなければ目的には近づけない。そう思って、ひとり、またひとりと相談する相手を増やした。
クラウドファンディングをする、noteで連載しながら編集をする、インタビューを記事化するなどのアイデアをもらい、考え、試行錯誤しているうちに、次第に自分が本当に伝え、広め、実現していきたいことがグッと絞られていった。
それは、学校に行きたくないという強い反応が起こっていて、それを尊重してあげることが大切な“気質”の子と、その親御さんにおいて、『学校へ行かなくても将来は大丈夫』と言える今をつくっていくこと。
その頃書いたnoteがこれです。
このnoteで宣言したように、クラウドファンディングを行うことを決意して、そのことをコミュニティのクローズドの掲示板で発表し、協力を依頼した。そこには、
・決意
・動機
・どんなプロジェクトをやりたいのか
・どんな役に立つのか
・どのような力を貸してほしいか
などを記し、さいごにこう書いた。
そして、手に汗を滲ませながら、何度も読み返し、数十分かけて投稿ボタンをクリックした。
その投稿には、みんなからのあたたかい応援コメントが集まった。投稿する瞬間まで固まり続けていた心身がみるみるうちに温められ、安心し、熱くなっていった。こんな体験ができただけでも生きててよかったと思えた。
HSCを広めたいという想い
私は、これまで、自分で開設した『HSC子育てラボ』というサイトや、個人ブログで、HSC(Highly Sensitive Child=とても敏感で繊細な子)という気質について発信や企画を続けてきた。
HSCのすべての子に当てはまるわけではないが、敏感、繊細、物事を時間をかけて深く考える、とても慎重である、共感力が高いなどといった特徴が、『学校に行きたくない』と感じる要因のひとつとして、実は大きい。
みんなで一斉に同じことを、同じペースで、同じようにやらなければならない、学校という環境に、気質が合わないのだ。
耐える、克服する、乗り越える、人に揉まれる、そうすることで刺激を受け、強くなり、社会に出てもやっていける人物に育つことが、子どもにとって、将来のために必要なことと思われるかもしれない。
けれど、多くのHSCにとってそれは、気質=ありのままの自分を否定されることになるのである。
そのような気質があるということを周りが知らないために、自然な反応を否定されることで自己肯定感を低くする。自分が悪いのだと思う。なぜ他の子と同じようにできないのかと劣等感を抱く。
教室にいるだけで緊張して集中できない毎日に耐え続けている子もいる。多くのHSCが、先生の怒鳴り声がつらいと言う。
学校に行く以外の選択でなければ幸せではない子が、たしかにいるのだ。
HSCを知った方からは、「知ってよかった、知らなかったら間違った対応をしてしまうところだった」といったことを言ってもらえる。
だけれど、歴史も浅く、医学用語ではないHSCの認知の広まりは、まだまだだ。子どもに接する現場で働いている方からも、周りは誰も知らないと聞く。
時代は変わり、不登校を問題行動と見做さないとされてはきている。だけれど、まだまだ世の中は、学校一択。長い長い間、子どもには学校に行くことが普通で当たり前で、何なら子どもの義務であるとまで言われてきたわけだし、そこから外れることは、脱落をイメージさせるのだから仕方がない(義務教育の「義務」とは、子どもが学ぶための環境、学ぶ権利を保障する義務が大人にあるという意味)。
だから、世の中に『HSC』を広めたい。
そして、学校に行く以外の選択にも安心が感じられるようにしたい。
それを選ぶ親子が、幸せでいられる社会にしたい。
それを実現するための第一歩の活動に適していると感じられたのが、クラウドファンディングだった。
自分の実力を知る怖さ
やると決めたら、そのことについて調べる。そして圧倒される。
飛び込む勇気はあるけれど、泳ぎ方を知らないことを知ってばたつく。
助けを求めるしかない。
「求めよ、さらば与えられん」という言葉があったと思う。コミュニティでは、求めると必ず誰かが応答してくれる。その安心感についてはこのnoteを書いた。
さらに具体的に求めていくと、プロジェクトページをつくるにも、取材の企画書をつくり、アポを取るのも、助けの求め方も、何も知らないことに気づく。
書いて、発信するだけなら自分の実力などわからない。
けれど、プロジェクトページも企画書も、フィードバックをもらうたびに、考えの甘さ、思考の浅さ、文章が稚拙であることを知る。
やることすべてにおいて、自分の実力のなさを露呈していくわけだ。
恥ずかしさや情けなさに乗っ取られると、手足が止まって溺れそうになるから、気を持ち直して、掛かり稽古のようにトライした。
人の時間とエネルギーをもらってまで力を借りてみて
ところが、時間とエネルギーをもらってまで力を借りることへの申し訳なさは誤魔化しきれない。何度も人を頼るという行為を繰り返していると、心が折れそうになってくるのだ。だって、必要とするのは自分ばかり。相手は私のことなど必要でないばかりか、もしかしたら断れなくてつきあってくれてるだけかもしれない・・・。
だけど、クラウドファンディングを経験した知見を、資料をつくって2時間くらい細かに教えてくれたみたむらさんは、その日のTwitterでこう発信していた。
あんなにお世話になって、反対にありがとうって・・・もう感謝しかない。
ブログを通じて知り合った、同じHSCを育てるママである友人からも、熱の入ったフィードバックをもらった。私のプロジェクトページをもとに、マインドマップまで添付してくれて、ずいぶん思考が整理された。メールで何度もやり取りをして励ましてもらった。
イラストを依頼したflemyさんが、依頼を受けてくださったことも大きな喜びだった。その時のことをブログに書いたが、ここではflemyさんが綴ってくれたプロジェクトへの想いを載せたい。
アメリカにいるメンバー、しばたゆみこさんのフィードバックも私の思考を深めてくれた。そして彼女は、「ホームスクールの体験談を聞いたよ」「ホームスクーリングについて調べたよ」と、現地のリアルなホームスクール事情について情報を提供してくれた。
音声で『コルクラボの温度』を発信しているとっちー(栃尾江美さん)は、たびたび私のことをVoicyで話してくれたり、私が活動のために東京へ行った時には、取材に同行してくれ、そのまま一緒にVoicyを収録してくれた。クラウドファンディングが始まった日も、Voicyで応援してくれた。
また、合わせて7千万円の達成経験を持ち、クラファンの達人と呼ばれるペーさんは、何度もたずねて申し訳ないという気持ちを、毎回思いっきり跳ね飛ばすくらいに、プロジェクトページの問題点を容赦なく指摘してくれ、改善案を提示してくれた。「全然手を抜かないで正面から向き合ってくれるから人として尊敬する。本当にありがとう。」と伝えた時、ペーさんからは、
と帰ってきた。心からのありがとうを伝えた。
その後もペーさんには、ギリギリまでアドバイスをもらい続け、クラウドファンディング直前に徹夜で直したリターン(お返し)の画像を「めっちゃいい!」と言ってもらえた時の感動ときたら!
クラウドファンディングのアドバイザーをお探しの方はおつなぎします!
そして、言葉、文章を含め、プロジェクトページに私の信念と魂を吹き込むよう導いてくださった恩人も。まずは文章で、私の想像が及ばなかった支援者層にまで届くよう、読み手に対する想像力についてレクチャーしてくださった。広めるために仲間を増やす、本を作るに留まらず、社会を良くしたいという大きな山を見据えていいのではないか、と背中を押してくださったのだ。私はそれによって没頭して文章を書いた。そしてクラウドファンディング開始4日前の夜になんとZoomで4時間かけて一緒に磨き上げてくださった。読んで下さる方の心にしっかり届くように言葉が選ばれ、並び替えられていった。「“強く”言わないと届かない」とおっしゃる「強さ」が「信念」のことだとわかった時は、改めて、人生の糧になる本当に受けたい授業を受けている!という実感と感謝の気持ちが溢れた。
そして、クラウドファンディング前日、ゆっきー(竹本有希さん)が動画を仕上げてくれた。2人の子どもさんを育てながら、本当に多忙な中、flemyさんや私の絵本のイラストも用いて、HSCを広めたい想いが詰まったやさしい動画を作ってくれたのだ。ゆっきーは最初から最後まで、そして今も、私の活動が花開くことを自分のことのように願って応援してくれている。
そしてはじまった
こうして、惜しみない力が注ぎ込まれたプロジェクトを公開する日を迎えた。
緊張で落ち着かない中、自分で決めた公開の時間が刻一刻と近づいてくる。
そして、公開のボタンを押した瞬間、それまで抱えてきた不安や恐怖が一気に解放されていく。同時に流れ出した町内の12時の音楽が、労いを告げるファンファーレのようで、涙が溢れた。
そしてそのすぐ後、ご支援をいただいたというお知らせのメールが届いた。「支援したよ~」というメッセージも届いた。涙は止まらなくなった。
ー誰かからお金を支援してもらうー
目的を実現するためとはいえ、自分のためにお金を差し出してくださる方がいる。それを受け取る実感がどんなものか、正直どうしても言語化できない。
そして、その実感は麻痺しない。ご支援をいただいたというお知らせが届くたび、いったいどうして・・・と信じられない気持ちになり、メッセージを読んでその想いを有難く有難く受け取る。
これはみな、行動しなければわからなかったもの。
ずっと怖かったと思う。無我夢中だった。自分にできるのか。それだけの能力が自分にあるのか。
残念ながらそれだけの能力がなかった分、たくさんの人とつながり、こうして助けてもらえることを知ることができた。
そして、私に関わってくださった方は皆、HSCが世の中に広まるよう、子どもの敏感さへの想像力が働くやさしい世の中になるよう、一斉にSNSなどで呼びかけ、応援してくれた。
その輪は広がり、ご自身のブログでこの活動や、HSCについて、丁寧に、真剣に書いて、応援を呼び掛けてくださった方、同じくTwitterやFacebookでもその輪は広がった。
その輪は、私にとってはとても大きく、行動しなければできることのなかった輪であり、つながりである。
それでも、私が投げ入れた石は、世の中から見ると微々たるものかもしれない。
どうか波紋が消えないでほしいと願う。
サポートありがとうございます。 そのお気持ちは私に元気と勇気を与えてくれます。 私もそれをたくさん還元していけたらいいな。