JAYくん
ある朝のこと。
ブルックリンの無造作な町角に立って、雲のない青空を組み入れて写真を撮ってみる。すると JAY STREET の1枚は、幾何学模様のパズルになる。
パズルの中の JAY の文字を見てるうち、歩き出した思考はトモダチの JAYくん に繋がってゆく。
JAYくんは、まだ二十歳前のワカモノで、この夏、アルバイトに挑戦した。休みは日曜日だけ。なかなかのハードスケジュールだ。潜水泳ぎが得意の JAYくん、プールのライフガードだそうな。
というわけで夏の間中、彼はなりを潜めた。それまでは、オンライン・ボランティアで、週に一度は会っていたのだが・・・。そして2か月。夏も盛りを過ぎた頃、彼が戻ってきた。
「ヒサシブリィ~。オゲンキ デスカァ~」。のんびりと幸福な雰囲気は、ちっとも変っていない。
ボクらは英語で会話を続けた。
「ありがとう、元気だよ。仕事はどうだった? だれかレスキューした?」。一応聞いてみたかった。「いいえ」と言う返事を予期しながらも。
ところがどっこい・・・
「ハイ。」
「えっつ!」
「ハイ。小さな男の子が、すぐ目の前でおぼれそうになっていて、それで、無我夢中で飛び込んで、助けました。」
「でかした JAYくん すばらしい」。JAYくん、良い夏を過ごしたようだ。
彼は、ニューヨークから車で西に数時間の、静かな町に住んでいる。早起きで、明け方によくテラスに出る。朝の匂いを楽しむために。「今日はどんな香りだった?」と尋ねてみたことがある。すると、あっぱれ、日本語で返してきた。
「ハイ。トテモ あまい デス。」
会話と言うには、短か過ぎる やり取り。けれど JAYくん と話していると、情緒が覚醒して、思いの中に立ちこめてきた。ボキャブラリーが少ない分、素朴な言い回しには力があった。地球や、そこに宿る命という奇跡への畏敬の念を、目覚めさせてもらえたような・・・。
スペイン語が母語の彼は、独学で日本語を学んでいる。知り合ってもうすぐ2年になるけれど、ずいぶんと上達したものだ。日本の音楽も大好きで、それをバックに地下の自分の部屋で、独り歌って踊るのが趣味の一つ。
ある日の会話。
「日本のシンガーは ダレがスキ デスカ?」
JAYくんは、だれかに質問されると、とても嬉しそうな表情になる。こちらも、ニコニコ顔からどんな答えが返ってくるのか ワクワクだ。
そして・・・すぐに返事が、きた〜。
「・・・モモエ。」
「ん?」
聞き間違えたかなと思って、まさかと思いつつ、小声でボクはつぶやく。「えっ?(まさか)ヤマグチ???」
「ハイ ハイ。ヤマグチ モモエ。」
答えを強調したい時、JAYくんは「はい」を2度繰り返す。
「ハイ ハイ。モモエ!」
「へぇぇぇぇぇぇー!」
ぇぇぇぇぇぇー、が長すぎて、息を吐き切ってしまった。
呼吸を整えて、もうひとつ 聞いてみる。「ドノ曲が スキ デスカ?」
固唾を飲んで待ったキンチョーの一瞬。どんなストーリー展開になるんだろう?
返ってきた答えに、ボクのキンチョーの一瞬は、粉々に砕け、虹色に輝いた。「会話空間」というダンスホールに、ミラーボールがたちどころに現れたのだ。
曲名の代わりに、歌詞で来るとは!
「コレッキリ・コレッキリ・・コレッキリ・・・」。
「コレッキリ」という響き。なるほど。どちらかと言えば外国語に聞こえなくもない日本語が JAYくん の耳と、根っからのダンス好きなラテンの血を震わせたのだろう。それは容易に想像できた。
それにしても・・・。会話物語のエンディングで待っていたのが、「横須賀ストーリー」だったなんて・・・百恵さんが聞いたらどう感じるだろう。日本から見れば地球の反対側、アメリカ東部の片隅に、こんなファンがいるなんて。
彼は今、「ラジオ体操・第一」をピアノでコピーしている。耳で音符ひとつひとつを拾いながら、右手と左手のアンサンブルを練習中。この情緒的エピソードは、またいつか・・・書いてみたい。
とにかく JAYくん、計り知れないワカモノ。・・・そして・・・ボクのトモダチ。