共話日記

共話とは..聞き手が話し手の話をひきとって一緒に会話を進め、一本の線のように会話を進め…

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共話とは..聞き手が話し手の話をひきとって一緒に会話を進め、一本の線のように会話を進めてくやりとりです。「お腹すいたね」「すいたね、ご飯食べようか」など。

最近の記事

【こんな夢を見た】 ちゃぽちゃぽタッパー

清潔なレンタカーの後部座席に乗り込むと、レザーの滑らかさと硬めのクッションの感覚がお尻から背中、手足へと行き渡り眠くなってくる。 車は少しずつ前進をはじめ、交差点にさしかかったところでブレーキを踏んだ。 「始まったみたい」 と、運転席から声が聞こえる。 前方をみると4人組の老若男女が奇妙な立ち姿で立っている。すると一斉に各々の方角にのびたりしゃがんだりしはじめた。鼓動を合わせたように構成された動きは全体で一つの生き物のようにクネクネと動いている。 ああ、パレードか、と思う。こ

    • ルービックキューブと並行世界

      先日泊まったAirbnbの寝室に無造作にルービックキューブが置かれていて、思わずその四角いプラスチックを手に取って実際にやってみたい衝動にかられた。 以前Eiko GoというYouTube番組で狩野英孝さんがルービックキューブに挑戦している動画を見て、こうやって揃えるのかと感動していたわたしは、気がつくとその小さなツルツルした塊を1時間近く手前や左右の方角に回転していた。 柴崎友香さんの 「あらゆることは今起こる」 という本に、並行世界という感覚のお話がでてくる。 世界が同

      • 【こんな夢を見た】2匹の豚

        こんな夢を見た。 扇風機が‘弱’のままゆっくりと首を振っている。体を動かすと直に座っている畳や指先の紙から微量の水分がじわりと放出されるようで、そしてわたしの水分と一体となる。 奥の玄関からカラカラと扉が開く音がする。 「ただいま〜。あっついあっつい、ちょっと水飲ませて」 外気の熱とにぎやかな雰囲気の名残が家内にくっついて、家の中に入ってくる。その名残の粒たちはエントロピーが働いて少しずつ分散されていく。わたしの皮膚に粒たちは弱々しく触れてパチンと破裂する。 家内はわりと

        • 「人生150年」というタイトル

          「人生150年」という某ラジオ番組のタイトルに、Tは「ながいっ」と鼻息荒く短く叫び、わたしは思わず吹き出してしまった。 厚生労働省によると日本の2023年の平均寿命は男性81.09年、女性87.14年。現時点では未知の世界の、人生150年という長〜い時間軸の感覚を想像してみる。 人生が150年だとすると、75歳が人生の折り返し地点となる。女性は約40歳の出産のリミットを過ぎたあと、110年間は子供を産むことはない。(今後はできるかもしれないが。)子供が独立した後、約75年

        【こんな夢を見た】 ちゃぽちゃぽタッパー

          泣き声

          バスや電車などの公共の閉鎖空間で子どもの泣き声を聞くと、ついとっさに周囲を見回す癖がある。そこに並んだ顔、顔、顔の造形を確認しながら、さあ自分の顔は一体どう動かしたらいいのだろうかと悩む。 小さい頃、わたしはよく泣く子だった。涙腺の筋肉がないのか あるいは発達しすぎて気持ちよく開閉されているのかわからないが、泣くことは日課だった。 昔のアルバムを開くと、毎日泣いていると顔のカタチはこうなるのかあと 幼き自分の目と眉の角度なんかに感心する。 ある日 あまりにも泣き続けるわたし

          Abundant とAbandon

          借りている小さなレンタル畑から「もう一つスペースを手に入れて収穫を倍にしよう!」というニュースレターが来て、それを読むとどうやら誰かが手放して雑草だらけになった畑を明け渡すので管理してくれる方を募集しているということが書かれていた。 かくして応募して得た畑は2つ隣の敷地で、名前を「Divine Abundant」とつけられていた。(畑を借りるときに好きな名前をつけることができ、全ての畑はその名前で管理される。) Divine はたしか神だよね、アバンダントってなんだっけ、捨

          Abundant とAbandon

          家族の話

          なんで子どもほしいって思うん って聞いて なんでほしくないん って聞かれたらどうしようかと思ってだけどすんなり答えてくれてほっとしながら耳を傾ける。昔から子ども好きやったとか子どもは二人産みたいと思ってたとか 言われたらなるほど〜ってなるけどわかったようなわからんような気持ちになる。そう考えると昔から子ども好きやったかな とかなんでみんな自分の子どもを育てるんやろう とかぼんやり考えてたから 自分は子どもほしいって思ってないほうに分類されるんやろうかなあ。 みんなここにいる

          日本に来てなんか違うって感じたことある?の回答

          「日本に来てなんか違うって感じたことある?」 Nの質問に咄嗟に出た言葉が 「他国のニュースが少ない」だった。ガザとイスラエル、そしてウクライナとロシア、戦争の話はどこか遠い世界の、自分たちとは関係ない場所のことのようだ。 なんとも白々しいよく聞くような海外かぶれの批判だ。言ってて歯が痒くなる。しかし本当だとも思う。日本は幸せがゆえの幼い感情を内包している、わたしも含め。 先日 工事中の道路沿いを自転車で走っていた。 自転車道はふさがれていて、そのため車道を車と並行して走るこ

          日本に来てなんか違うって感じたことある?の回答

          お義父さんへの言葉

          「90歳までは頑張って生きようと思ってるんやけどね」 そう言ったおとうさんの言葉に、わたしはとっさに何も言えず下を向いてしまった。どうしてそうしてしまったのだろうと、反芻することがある。 「そう言わずにぜひ100歳まで長生きしてください」と言う返事が、ありきたりで無難な '良い'返事だったのではないかと着地する。 他人の時間軸に共感することは難しい。流れた膨大な時間を感じたり、残されているであろう未知の(けれどわたしよりははるかに少ないであろう)時間の中にいる他人の気持ち

          お義父さんへの言葉

          好きと嫌いはコインの裏表

          べふぉあつーく と彼女は言った それは外国で好きだという意味らしい まぐにひと というときもある それは好きではないようだ べふぉあつーく と まぐにひと は 正反対のようだが それはコインの表裏のようにべったりと背をくっつけている それは 一人称が どちらの面をだすかというだけなのだという では こちらで判断するか あちらにゆだねるか それこそが正反対なのだろうかと 右と左に2つに割れた頭で考えてみると なるほど 古今東西どこから行っても もとのいる場所に戻ってくる

          好きと嫌いはコインの裏表

          自由 の印象

          自由だ。 じゆう はまるで真っ白の雪の上に足をズボリと一歩踏み入れるようだ。じゆう は じかん とあまり仲がよくないのだろうか。踏みつけられた雪はだんだんと固くなり、気を抜くとツルリと滑りそうで難義する。一体どうしてこんなことになったんだと真っ赤にした じかん が じゆう を責め立てる。 じゆう は じかん なしに存在しえないが、じかん には じゆう の存在を定義する絶対権はない。 常に じゆう であるためには 降りしきる雪の中で 更新され続けるキャンバスにズボズボと足で

          自由 の印象

          処 という字

          処。 何処から思いついたのか、処という字が気になる。夢に出てきたような気もする。 処。 下までだらりと垂れ下がり、べたりとしたものがゆっくりと広がっていくような字の印象。 床板が隠れてしまうほどの大きな白い布が、凹凸の凸部分の輪郭をはっきり残し、そのままゆったりとぼやけて地面へと広がっている。それは家中のイスをかき集めて、そのガタガタした立体の上に白い布をかけた仮の城のようだ。 その美しい曲線でたわんだ布を見ていると ぺらりとめくってみたくなる。めくってみえた奥に続く黒

          処 という字

          米粒の魔が差す

          A「ええ、ええそれはもうえらいこって。 気いついたらすうとおらんくなっておりまして。」 B「‥‥」 A「まあわたしどもも、こうたくさんお客さんおりはりますので、お酒は切らしておらはりませんやろかと気いはってみましたり、かと思いましたら玄関口でまあまあお足元のわるい中よう来てくださりましたとご案内してましたりと、 心配事も少なからずありまして、あっちへこっちへとまあ絶え間なく足動かしておりましたら、アレがいなくなってもちっとも気いつきませんのですわ。」 B「‥‥」 A「

          米粒の魔が差す

          水を貸せばややこしい。とかくに人の世は住みにくい。

          化粧水の空ビンが出されているのに気づく。 冬の夜に顔を洗うのが得意な人はいないだろう。 「ひー ちべたっ」 濡れた手で洗顔料の蓋を開けると、もう残りが少ない。 お化粧をしなかった日は夜に顔を洗わないようにしている。ちびたい水と毎夜 向かい合わなくてもいいために 日中もお化粧をしないのではないかと 自分でも半分そうだと思いつつも半分は違う理由をあてがっている。 一度浴びればなんてことはない水をぴしゃぴしゃと顔にかけながら そうだ 彼は今 化粧水を切らしているのではないかと思

          水を貸せばややこしい。とかくに人の世は住みにくい。

          道とおねしょ

          何度目かの繰り返しの中で、いつもと違う方向にハンドルを切ったとき、ぐるぐると回る遠心力からようやくスポンと抜け出した気持ちになる。 なんてことはないよくある公園の中を わたしはもう何往復も自転車で走っている。柔らかくカーブした砂利道を道なりに進むと出口付近の左側に細く短い分かれ道が現れる。そちらには目もくれず、まっすぐに突き進んだ先でハッと気づく。「しまった」と心の中で舌打ちするがもう遅い。そう、その左の細い道を選ばないと、先の自転車道へと続かないのである。 公園の中は緑

          道とおねしょ

          おべんとうばこのうた に思うこと

          「これくらいのお お弁当箱にい」 出だしは大事だ。 元気よく声を出しながら両手を目の前に平行に並べたら、右手と左手は各々端まで移動する。ありったけ腕が伸びると、そのまま下へ直下する。これで「これくらいのお 」の「のお」のところだ。 ぐるりと両手が互いの引力に引かれるように中央へ戻ってくると、お弁当箱が完成する。 「おにぎり おにぎり ちょっとつめて」 直前に作った巨大なお弁当箱の中でコロコロ転がりそうなサイズのおにぎりを握る動作をすると 「きざみしょうがにごましおふって」

          おべんとうばこのうた に思うこと