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【読書感想文】子どもが中心の「共主体」の保育へ ~「お互いの"主体性"を持ち寄る」という考え方 ~
最近、読んだ本で「共主体」という概念に出会った。
「共主体」とは
考えの異なるAさんとBさんがいて、その二人が折り合いをつけながら、共通の目的を達成するために、「お互いの"主体性"を持ち寄る」という考え方である。
「主体性」にも2種類ある
面白いのが、「主体性」の中にも2種類あって、「①"主張"の主体性」と「②"配慮"の主体性」という考え方だ。
自分の"主張"を押し通すばかりでもダメだし、相手に"配慮"してばかりでもダメ。
折り合いをつけるシーソーゲーム
対話から解決の道を模索する作業は、お互いが"主張"と"配慮"のバランスを意識して出し合いながら、2人にとってのちょうど良い着地点を探すシーソーゲームをしているようなものなのだ。
「子ども」と「大人」のバランスの取り方
保育の分野では、「子ども」という存在が生まれたばかりでは、"主張"の主体性の塊なので、「大人」が"配慮"の主体性を多めに出しながら、子どもの"配慮"の主体性を気長に育ててあげようね。という話になる。
でも、これって、「子ども」と「大人」という構図が、「部下」と「上司」にも当てはまるよねーなんて思ったり。
我が身を振り返ろう
もし自分が、立場が上だったり、経験豊富な存在だったとして、
対峙する相手に対して、"配慮"の主体性を多めに発揮できてるかな?
アドバンテージを使って、相手を屈服させようとしてないかな?
対等な立場として、議論のテーブルに着いて、実りある結果を生み出すために、
納得感を持って、その結論にみんながコミットできるようにするために、
"対話"するための前提条件として、「"配慮"の主体性を何パーセント持ち寄って、この対話に臨んでいるのか」を、自己点検してみるのもいいなって思いました。
ではまた!
しゅんたろう