奥尻島で若々しく生きる人生の先輩からの学び
『奥尻島日記』では、北海道最西端の島である奥尻島(おくしりとう)で過ごした9泊10日のことを記録していきます。
奥尻島日記【~1日目】では奥尻島がどんな場所なのか、なぜ行くことになったのかなどを書いています。
奥尻島日記【2日目】ではネイチャーガイドのお話や神威脇温泉について書いています。
よろしければご覧ください!
3日目は世話人のゆうとさんに奥尻島を一周案内していただきました!
imacocoから出てまずは北部へ。車窓から見える景色を見ながら、みんなで色んなことを話しながら向かいました。
素敵な笑顔のあやこさんがお出迎え
初めに伺ったのが、『さくらばな』という奥尻島最北端のお店。
車から降りると満面の笑みであやこさんが出迎えて下さりました。おばあちゃんの家に帰ってきたような安心感。
開店準備で忙しそうな中でもコーヒーを出して下さり、色んなお話をして下さいました。
北海道南西沖地震当時のお話も沢山聞くことができました。
私は奥尻島に行くことを決めるまで北海道南西沖地震について全く知らなかったのですが、あやこさんがお話されていた地震発生当時の混乱した様子から、思わず涙が溢れました。
北海道南西沖地震は奥尻島の重要な歴史の一つなので、まずは地震の概要を紹介させて下さい▼
北海道南西沖地震の概要
あやこさんの実体験・想い
あやこさんのお話は被災から30年経った今も当時の混乱が残り、断片的でまとまりのない感じが被災者本人から聞けるお話のリアルさを表していました。
あやこさんは地震発生当時車を運転しており、母親が自分の名前を叫ぶ声が聞こえたのだとおっしゃっていました。
「そういうの信じてくれる?」とあやこさんは少し心配そうに私たちの表情を見ていましたが、私はその現象は本当に起こったんだろうと感じました。
本当に怖い経験だったのだと思うのですが、その経験をしても変わらず奥尻島でお客さんを出迎え続けており、奥尻島の自然や人に感謝し素晴らしいと思う気持ちを何度も口にされていました。あやこさんにとっては、どんなに震災が怖い経験であったとしても『さくらばなでお客さんを出迎えること』に価値があるのだなということが伝わりました。
テレビや記事で被災者の方の声を見聞きすることはこれまでにもありましたが、これほどまでにリアルなお話しを聞いたのは初めてでした。震災当時の話しをしたあと、あやこさんはさくらばなの近くにある賽の河原(さいのかわら)のお話をして下さいました。
賽の河原にはキャンプ場として整備された場所もありますが、海難犠牲者を供養するための積み石がいくつも存在しています。北海道南西沖地震から今年で30年が経過しますが、あやこさんの体感として積み石をするために賽の河原を訪れる方が減っているといいます。
奥尻島は地震から5年後の平成10年3月に『完全復興宣言』をしていますが、復興を宣言したことと震災の犠牲者に哀悼の意をい示すことは全く別であり、北海道南西沖地震も時間の経過と共に被災者の減少や震災を知らない世代の増加が進んでいるのだと感じました。
あやこさんの素敵な笑顔と人柄、震災の生々しいお話を聞かせていただいたことで『さくらばな』が特別な場所であるように感じられましたし、またここを訪れた際には賽の河原の積み石にも手を合わせに行こうと心に誓いました。
奥尻島の地震・津波対策の現状
奥尻島では、震災後に様々な対策が行なわれました。
防潮堤や人口地盤、避難路の整備がされており、車で島を一周していても海が見えないほど高い堤防のある場所や古い民家のない場所がありました。
しかし、『完璧な』地震・津波対策は難しいなと感じました。
例えば、降雨時でも支障なく非難できるように設置されたというこちらの避難通路。
確かに海の近い場所では天候が悪いとひどい雨風にさらされることになると思います。ですが、このドームの入り口までは階段を上る必要があります。車椅子を利用されている方や、高齢化の進む中では避難通路の中がスロープになっていてもそこまでたどり着くのにかなりの困難を要するかも知れません。
とはいえ、先ほども書いたように『完璧な』地震・津波対策など存在しません。
奥尻島民、奥尻島を訪れた観光客「全員」にとって最適な対策を事前に予測して何かを設置することによって防ぐことは不可能です。
私たちにできること
では地震・津波が発生したときに何が出来るのか。
それは、全員が身を守る方法を把握しておくことだと思います。子どもも、お年寄りも、身体のどこかが不自由な方も、外国人の方も例外なくです。
これは奥尻島だけの話しではないですし、自分の住んでいる市町村や旅行先のどこかの機関がやってくれるのを待つものでもありません。
地震・津波の多い日本では必ず非難経路の提示や非難の方法は示されているはずで、それを受け身ではなく自分で情報収集をする必要があるのだと思います。
当たり前の話しですが、若い世代では学校の避難訓練でしか訓練をしていない人がいたり、旅先の震災を知らない人、震災を知らない世代の防災意識の低さ、年齢や身体の不自由を理由にそもそも避難するという考えがない人がいるのも事実だと思います。だからこそ各人が防災に対してのアンテナを張り、自分で自分を守る意識が必要なのだと感じました。
『さくらばな』の紹介
お世話になったあやこさんがお出迎えしてくれる『さくらばな』では奥尻島ならではの、美味しくあたたかい気持ちになれる料理が沢山あります。
観光に行った際にもぜひ訪れていただきたいのですが、営業されている時期に限りがあるようなのでお店の詳細を記しておきます。
参考HP
モノが生きている資料館
次に訪れたのが『稲穂ふれあいセンター(民族資料館)』です。この資料館の最大の特徴が、展示されている資料に触れることができるというところです。
展示品にはそれを寄贈した方の名前が記載されており、様々な年代のものが展示されています。
縄文土器、タイプライター、傘、漁に使う道具など展示しているものも様々ですが、どれも状態がとても良い!また、使い方が分からない道具は奥尻島の学芸員である稲垣さんが快く教えて下さいます。
学びは数倍、資料は現役!
一般的な資料館では展示品がショーケースの中や柵の向こうにあり、紹介文や参考資料から背景を想像するしかありません。
ですが、この資料館であれば持ち上げたときの重量感や質感、実物を自分の手で動かす経験ができるためより楽しく学ぶことができます。
そして何より、これは私の感覚でしか無いかもしれませんが、『モノがモノとして生きている』感じがしました。
触れられないように隔離された展示物は『展示されているモノ』としてなんとなくひっそりと、静かにそこに存在しているように感じます。ですがこちらの資料館にあるモノは現役の道具のようなたたずまいで存在していました。
建物自体も廃校になった小学校が使用されており、空間全てに資料館と思えない活き活きとした雰囲気を感じました。
『稲穂ふれあいセンター(民族資料館)』の紹介
参考HP
若さ全開の離島仙人
奥尻島には、『離島仙人』とよばれている枝松さんという方がいらっしゃいます。
奥尻島の海産物や行者ニンニクの加工・販売をされている方なのですが、とにかく若々しく、エネルギーをもらえる!
私たちが到着してすぐに、ほっけやイカ、タコなどの海産物をごちそうして下さりました。これが本当に美味しかったです!!!!!!!
ごちそうして下さった料理を食べながら、離島仙人になるまでのお話などを伺いました。
枝松さん本人は『ラッキーだった』とか、『ツイてた』などとおっしゃっていたのですが、前職のサラリーマン時代から周囲の方とのつながりを大切にし、お手伝いや他の方を気に掛けるといったことを当たり前にしてこられたからこそ必然的に起こったことなのだと感じました。
「お手伝い」や「他の方を気に掛ける」ということは、なかなか継続的にすることができなかったり、自分自身にも余裕がなければできない事だと思います。あの短時間で離島仙人から感じた若々しさやgiveの精神は間違いなく『ラッキー』や『ツイている』と感じることを必然的に引き寄せてきたのだろうと思いました。
深海松加工体験
深海松とは、北海道奥尻島沖の水深300m付近で取れる松のような見た目のサンゴです。離島仙人のお店では海産物の販売の他に深海松の加工体験もされており、私たちも体験させていただきました!
ネックレスやストラップ、箸置き、ボールペンなど様々なアイテムの加工ができます。深海松の特徴はヤスリで磨いていくほどに青緑っぽい独特のキレイな色味が出てくるところです。
各自自分で磨いたアイテムが完成!私はピアスを作りました!
『離島仙人』の紹介
海産物はオンライン販売もされています!▼
base:https://ritosennin.base.shop/
3日目は奥尻島を一周し、様々な方とお話させていただきました。
どの方も年齢を感じさせず活き活きとしており、『老いる』ことの定義が覆された日でした。
かなり長い記事になってしまいましたが最後まで読んで下さりありがとうございました!