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情報過多と情報過少と情報過小~デキる人間になりたい

今はともすると情報過多の嵐に埋もれてしまい、もう何が正しいの!と思ってしまうのは、私一人ではないと思います。多すぎて何を整頓したら分からないー!断舎利、こんまりメソッドたすけてー!となっていたコズエです。

そうしたらですね、情報過少のほうを忘れていました。

仕事では色んな部署の連携で情報があちこちにシェアされていきますね。私は今のところ3つの部署で働きつつ、そのインターフェースはあまり変わっていないので、一つのものを3つの側面で見た経験があることになります。そうすると、この先を知っていれば、ここにこの情報が欲しいと分かるのに!と思うことがしばしばあり、そこに情報があると、さすが痒いところに手が届く、出来た奴だ!と思うのです。

それが興味深いのが、大体個人差があるということ。ここにこの情報、欲しかったんだよね!という記載をする人は、ちょっとこれ助けてよ、と頼んでも、そのスピードが速い!でも、なんでここ、ちゃんと突き詰めてないの?これだけ経験あって、これが足りないって分からないの?というヒトは、こちらから明確な指示を出さないと基本的なことも気づかない。

そして、この情報がどのように使われているかの想像すら出来ない国外からの情報なんて、過少どころか「無」。。。どうしろっていうのこれ。。くらいに空っぽな情報が来ます。ああ、これが今後どうなっていくかとか、想像すらしないんだなって。

情報過多より情報過小のほうがいいんじゃないかって思ってました。でもそれってむやみやたらに捨てて、結局大切なものが残らない。断舎利もこんまりメソッドも、そこなんですね。捨てたから良いわけじゃない。少ないから良いわけじゃない。きっと、少ないもので心地よく生きているヒトは、ちゃんとその差を知っている。

情報過少、と打っていて、そうだ、情報過小もある、と気づきました。これは直に、自分の評価や存在の過小でもあります。直ちにこういう鵜呑みはやめたほうがいいですね。

それならどうするか。

まず、有益な情報を得る目(と理解する脳)をつける。ラッキーの神様の前髪をつかむのと同じ。瞬発力は、なにを掴まえるかをわかっていなければ、どんなに早くとも生きてはくれません。察知するために、そしてそこにいち早く飛び込むために、瞬発力、大事です。

そして、それをプロセスするための整理整頓。通り道がごちゃごちゃしていれば、神経経路は無駄をするばかり。早い理解と応用のためには、経路・回路がすっきりしていないといけません。

情報が、過多だとか過小だとか過少だとかで片付けてしまわない、そういうことすら思わないほどに、着眼と理解とプロセスのスピードを上げたいと思います。ぴぴぴ、とね!

素材: acworksさんによる写真ACからの写真

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