小さくなるか、ならないか、それが問題だ〜遠くのアナタより近くのワタシ
現在未だかつてなくミクロな自分になりつつある、コズエです。こんにちは。
ここ数年、とにかく自分の態度が巨人よりも大きかったと自覚しつつも、小さくなるって何それ?!と思いながらも頑張ってきたのですが、なんてことはない、時間が教えてくれました。
なんのことか、と言いますれば、ま一言で言えば自分がどれだけ傲慢で怠慢な人間で、それをずっと知らずにいた無知な人間だったということで、これまたフラクタル心理学にはしてやられた、というわけです(すべての問題は、傲慢、怠慢、無知でできている、とフラクタル心理学では言います)。
しかしながら、長子(一人目の子供)はとにかくプライド高いです。一番になりたいです。だから第一子で生まれてきたのです。(ワタクシ、その典型です)なので、小さくなるって言われると、負けろって言われてるみたいで(言われてるんですけどね)すごーく戦うんですね。自分の中の未熟な心が(チャイルドって言います)。
ところがどっこいね。
自分がどれだけ果てしもない世界の向こう側を変えてみせると思いながら、その大きな壁の目の前で、飛び越えてやる!ってやっていたのかなって気づいちゃったのです。ひょっとしたらその大きな壁は、爪楊枝くらいなのかもしれません(勘違いもいいとこ)
これだけでは駄目ですね。これではダメ出しです。
肝心なのはここからです。
つまり、いつまでも向こうの大きな何かに向かって、焦ったり燃えたり悩んだり落ち込んでる間に、実は目の前のものが【壁】ではなくて、【小石】で、実は回り道すれば次に行けたんだと、知らずにいたんじゃないかって。
そこに気づくのに今までかかった自分にダメ出ししたい(苦笑
お前、目の前の大事なこと、いつまで無視してた???
自分のことは誰かに幸せにしてもらおう、ていうか、幸せにすべきでしょ(親が勝手に産んだんだから、世話しろよ思考。最大にして根本的勘違い、無知)って言っときながら、自分が世界平和のために何もできないとかって落ち込んで(傲慢)、でも、じゃ何かしようという努力はしたくない(怠慢)という、
究極おんぶに抱っこ思考
にて、壮大な夢を胸に、あとちょっとで老い朽ちるところでした。。。(絶対寿命を縮めてたであろう)
アホくさ( ´Д`)=3
長くなりましたが、要点はですね、小さくなるって全然怖くも痛くも、苦しくもないんです。小さくなったから見えるものが沢山あるって、小さくなってわかったんです。
アリンコ見て、彼らの世界って小さいんだろうなあってなんだか勝手にかわいそうに思っていたけど、Men in Blackのように、私達だって、小さなロッカーの中に住んでいるのかもしれない。アリンコは、世界が小さいなぁなんて思ってない。目の前のことを一生懸命やって、大きな蟻塚作っちゃったり、ものすごい細かい巣を作っちゃったりするんだ。
それなので、小さくなったコズエは、遠くのアナタの心配をすることを辞めたし、遠くのアナタを気にすることも辞めて、遠くのアナタを変えることも、遠くのアナタに覚えていてもらうことも、全部辞めました。
これからは兎にも角にも、Me, myself and I (私へ、と私自身と、私)に集中し、自分だけを幸せにするために全力投球!致します。
幸せの定義:かつては、愛してほしい、何かを買ってほしい、与えてほしい、もらうばかりの思考でした。本当に幸せは、自分から発し、自分を満たすことでその周りを満たし、それによっての見返りを与えられるなどの一切を求めず、自分の求めに自分が与えることで自己完結ができる自分になること、それによってできた土台の上に、自分が立って生きること。
これからの私のイメージ:絶え間ない噴水。鳥が水を飲みに来ようとも、人がお金を投げてお願い事をしようとも、絶え間なく水が湧き出ている泉のようになりたいと思います。
素材:写真AC より