胎内記憶<記憶の回廊>―②『白湯と高い高い』
僕が赤ちゃんの頃に、父や母にお風呂に入れてもらっていた記憶。
いわゆる『沐浴』の記憶、それが『始まりの記憶』ということになる。
湯船で後頭部をつけて、暇があれば赤ちゃんの頃の記憶を、毎日のように思い出していた。
夢のような記憶を忘れないようにするのが目的だったのだが、予想外にも別の記憶を思い出した。
もう少し丁寧に表現すると、『始まりの記憶』を思い出した時、不思議な感覚とともに、記憶のような、様々な感覚のようなものを思い出していた。
ただこれらは、時系列が不明で支離滅裂という感じだった。
この支離滅裂の感覚ももしかしたら記憶かも知れないと思い、大切に思い出すようにしていた。
『始まりの記憶』から数日後のことである。
思い出したというか、つながったという表現が近い。
支離滅裂の記憶からひとつの記憶がつながった。
最初は、不味いお湯を飲まされたことを思い出した。
この記憶が起点になって、支離滅裂だった記憶の時系列がそろった。
おそらく、『始まりの記憶』の<沐浴>と、お風呂上りに飲まされた<白湯>の記憶は、お風呂という共通点がきっかけになって思い出せたのだと思う。
さらに言うと、時系列的にとても近いのも思い出せたきっかけになったのだろう。
僕は『始まりの記憶』を思い出した時点で、今まで忘れていた赤ちゃんの頃の記憶があった脳の場所とつながったのだと思っている。
本来なら、もうつながらないはずの場所とつながった時に、記憶自体は思い出せた。
それでも、思い出せただけで時系列もバラバラで、支離滅裂の状態だった。
僕は2番目に思い出した<白湯>の記憶で、それらの支離滅裂が記憶であるということを確信した。
それからは、支離滅裂の記憶をどうにかつなげることができないかということを、この時からずっと考えるようになった。
次に思い出したのは<高い高い>の記憶だ。
これは時系列的には『始まりの記憶』とは少し離れているし、関係性も感じられない。
それでも思い出せたのは、父の手の感触や、安心感みたいなところが、記憶がつながった理由なのかもしれない。
僕がまだ歩けるようになって間もない頃の記憶だと思う。
僕は高い高いをしてもらうのが大好きだった。
母よりも父の方が背が高く、力強く持ち上げてくれるので父の高い高いはとても楽しかった。
この日父は、僕に高い高いをして遊んでくれた。
こんな他愛もない記憶がこの時なぜかつながった。
余談だが、わが子にこれと同じことをやってみた。
するとまったく同じ結果になった。
つづく
こちらは今回ご紹介した、僕の過去作です。
一緒に読んでいただくと、より記憶の理解が深まると思いますので、ぜひご一読ください。
そしてここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
今回は全14話+αの長編ですので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。