胎内記憶<記憶の回廊>―④『我が子』
小学4年生で『始まりの記憶』を思い出し、それからいくつかの記憶が支離滅裂の状態で蘇った。
その支離滅裂の記憶の時系列を揃えようと日々過ごしてきた。
結果、時系列が揃うよりも支離滅裂の記憶がさらに少しずつ増えていった。
赤ちゃんの頃は時間や季節を認識していないためか、記憶がバラバラのパズルのようになっていた。
少し思い出せても、それがいったい何の記憶なのか分からないものばかりだった。
『赤ちゃん言葉からの卒業』以来、ささいなエピソードがつながることはあったが、長くて新しい時系列はそろうことがなかった。
やがて僕は大人になって、結婚して2人の子供が生まれたのだが、子どもが出来るとなって、再び僕の記憶が強く刺激された。
僕の記憶を検証できそうなものは、『始まりの記憶』と『高い高い』の記憶だ。
いつか同じことを我が子にもしてみたいと思っていた。
子どもを育てるにあたって、僕の記憶が本当に記憶なのかを確かめたいとずっと思っていた。
そして、わが子が生まれた。
さっそく両耳に手を当ててみた。
片手で余裕で両耳をふさぐことができた。
いったい『始まりの記憶』はいつの記憶なのだろうか。
それから1週間くらいったった。
また両耳を片手でふさいでみた。
余裕で届いた。
この頃、妻がわが家に我が子をつれて帰ってきたのだが、ちょくちょく実家に帰ってしまってなかなか検証できなかった。
でも、妻が沐浴をしているのを見て「この時の記憶だ!」
そう思った。
それから我が子が生まれてから20日ほどが経った。
なんと両耳が片手でギリギリとどかなかった。
父の手は僕の手より大きかったのだろうか?
それは今となってはわからない。
だとしても、『始まりの記憶』は僕が生まれて一か月以内だろうと思った。
母の手の大きさを考えると、生まれてから1週間くらいだったのかもしれない。
『始まりの記憶』がこんなにも古い記憶だったことに本当に驚いた。
その後も、たくさんある支離滅裂な記憶を子育てしながら、だいたいではあるが時系列を揃えることができた。
その他にも、新しい記憶をさらに思い出すことができた。
寝ていた記憶、離乳食の記憶や、言葉の記憶、おもちゃで遊んでいた記憶、おむつやトイレの記憶など、今までなかったのか、つながらなかったのかの記憶を思い出した。
しばらく新しい記憶がつながらなかったのに、子育てをしているとどんどん記憶がつながっていくのが分かった。
それと同時に時系列もたくさんそろった。
それらについては『胎内記憶と赤ちゃんの記憶』のシリーズをぜひ読んでいただきたい。
ある程度わが子が育って、高い高いが出来るようになった。
はじめは笑いもしなかった。
まだ小さいうちは笑わないし、やさしく高い高いをしないといけないので、この時期の記憶ではないと思った。
もう少し大きくなって高い高いを喜ぶようになってきた。
そこで放り投げて見た。
我が子は爆笑していた。
僕の記憶とまったく同じだった。
我が子が1歳になる前だろうか、10回くらい放り投げて高い高いをすることにした。
2~3回目くらいで吐く息がなくなっているのが分かった。
それでも顔は爆笑していた。
もう少し高い高いをつづけてみた。
結果、泣いて逃げて行った。
おかわりしてこなかった。
僕の記憶とまったく同じだった。
やはり記憶だったのだと思った。
そして、さすが我が子だと思った。
我が子は1人目が男の子で2人目が女の子だ。
男の子は前述の通り、僕の記憶とまったく同じだった。
だけど、2人目の女の子は高い高いをしようとすると大泣きしてできなかった。
赤ちゃんにも個性があるのだなと思った。
つづく
こんにちは。心朗太です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
今回のお話の中で出てきた記事は上記にリンクを貼っておきました。
まだ読んでいない方も、すでに読んだ方もぜひ読み返してみるともっと楽しめると思います。
次回もぜひ読んでいただけると幸いです。