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僕の胎内記憶 ― <世界は壁なんてなかった>


#創作大賞2024 #エッセイ部門 #胎内記憶

まどろみの中、夢かうつつか、僕は意識と無意識のはざまで世界を感じていた。

自分という存在がうっすらと認識できはじめたころ、ほとんどの時間をぼんやりと過ごしていた。

ほんの少しの時間だけ確かに考えることができた。

<自分は何者で、なぜどうして、いつから、どうやってここにいるのだろうか?>

考えられるのはわずかな時間だ。
だからいつも答えは出ない。


体が時おりわずかに動いている気がしていた。
いや、動いていた。

意識のあるタイミングで動いた。
体があることがわかった。


少しの時間考えることができるようになった。
それと同じころに体が動くことがわかった。

体は意志とは関係なく勝手に動いていた。


少しずつ体がしっかり動くようになってきた。


もしかしたら、動くのではなく、動かせるのではないかとすら思えた。


動けそうで動かせない日々の中で、やっぱり動かせると気づけた日があった。

意識もよりはっきりと感じられた。


考えられる時間が長くなった気がした。
それでも答えが出ないのは同じだった。
<自分は何者で、なぜどうして、いつから、どうやってここにいるのだろうか?>
<動けない自分がどうやってここに来たのか?>


記憶はなかった。
それどころか、記憶すらできなかった。

ただいつも、何度も何度も同じことを繰り返し考えていることだけは、記憶というか、なんとなく覚えていた。


少しずつ動けるようになってきた。

<もしかしたら、移動できるようになるかもしれない>
と考えるようになっていた。

<この世界はどこまで続いているのだろう?>
<移動出来たらどうなるのだろう?>
<遠くまで行って、またもとの場所に戻れるのだろうか?>

たまに何かにぶつかる感覚があった。

<もしかしたら世界は狭いのかも>
とも思っていた。


意識がしっかりしてきたこともあり、より長く、より深く考えられるようになってきた。

世界の全体像がわかってきた。

世界は想像していたよりも広くなかった。
周りは壁に囲まれていた。
ただ一つを除いては・・・・・。

なんと表現すればよいのか、一か所だけ近づくと吸い込まれる感覚になる場所があることに気づく。

そこには行かないように、壁が守っているように思えた。


吸い込まれる感覚は、とても嫌な感覚だった。
なので自分の中で行ってはいけない場所となっていた。


あるとき、いつものように世界を移動していると、吸い込まれる場所に行ってしまった。

壁が救い上げようとしているのが感じ取れたが、少し深く入ってしまったのか、なかなか元の位置にたどり着けなかった。

吸い込まれるような、滑り落ちるような感覚である。


自身の力ではへばりつくことしかできなかった。

そうこうしていると、眠たくなってきてしまった。

眠ったら吸い込まれるかもしれない中で、必死に寝まいと抵抗したが、寝た。


起きたらいつもの安全な位置に戻っていた。

夢だったのか、現実だったのかよくわからなかった。


時は進み、体がしっかりと動かせるように感じられるようになっていた。

考えることができる時間も多くなっているように思えた。


いつものように世界を移動しているときに、吸い込まれる場所に行ってしまった。

今回のは今までと違い、かなり深いところまで行ってしまった感覚だった。


壁が救い出そうとしている。

自分も戻ろうともがいてみる。

壁の救い上げるタイミングに合わせて動くことで少しずつ戻れているような気がした。

それをつづけていると、安全な位置まで戻ることができた。

かなりやばかった。
でも戻れた。

以前の自分なら戻れなかったかもしれないと思うと、強くなっていると実感することができた。


吸い込まれる方向には行かないようにしていたが、何度か吸い込まれながらも無事に過ごしてきた。


考えることができる時間もまた少しずつ多くなってきて、自分がなぜここにいるのかということを何度も考えていた。


<世界は壁に囲まれていて、たいして動くこともできない>
<自分の力でここに来たなんて考えられない>

<しかし記憶もない>
<なぜだ?>

答えはいつも出ないまま眠った。


さらに時は進み、体の力はさらに強くなり、考える時間も長くなっていた。

以前なら壁は自分を救い上げてくれる存在だったが、今は壁を押し返せるくらいになってきた。


何もすることのないこの世界でやることといえば、壁との押し競まんじゅうと考え事くらいだ。

そして気づいた。

<世界がだんだん狭くなってきている>
<だんだんと壁と自分の距離が近くなってきている>


このころ考えていたのは、
<このまま壁がどんどん押し寄せてきて、自分はつぶれてしまうのかもしれない>
<もし、つぶされてしまったら自分はどうなってしまうのだろう?>


なぜここに居るのかわからなかったが、この先どうなるのかもわからない。

その答えが出ることはないまま、寝た。


時は進み、壁の力より押し返す力の方が強くなっていた。

この頃なぜかこの世界のほかにも別の世界があるような気がしていた。

どんな世界がほかにあるのか想像していた。

自分はどんな姿なのかというのも想像していた。

しかし、その想像のほとんどは忘れてしまった。


別の世界があるとすれば吸い込まれる方向の向こうしかないと考えていた。

その時の覚えている想像は今はこれだけだ。

<強くなった自分はこの狭い世界では動けずにいるが、吸い込まれる方向の向こうには今いる世界よりも広い世界が広がっていて、もっと自由に動き回れるのではないか?>

<ほかにも自分みたいな者がいたりなんかしないか?>


生まれてから思ったが、この時想像したすべて全然間違っていた。

すべては想像をはるかに超えていた。

生まれたあとの世界は壁なんてなかった。



この日は壁が妙に押してくる。

今までも壁は押してくることがあった。

それを押し返したりしていた。

しかし、この日は今まで以上の頻度で、力で押してくる。


いつも通り押し返していたが、ちょっとめんどくさいと思えるほどだった。

さらに今までと違うのが、吸い込まれる方向に押してくるのだ。

今までは吸い込まれる方向から救い上げるように押されている感覚だったのに・・・・・。


今まで何度も吸い込まれる方向に行ったらどうなるかを考えたことはあった。

でも嫌な予感がするので行ったことはなかった。


今は、
<吸い込まれる方向の先に何があるのか>

<その先の世界はどうなっているのか>

好奇心が嫌な予感を上回り始めていた。


体が強くなっていると自覚していたこともあり、何度もためらったが行くことを決意した。


壁が押してこないときに少しだけ行ってみて、ダメそうなら戻ってこようと思っていた。


そして、思い切っていってみた。


するとすぐに行き止まりだった。


思ってたのと違った。


もっと広い世界が続いていると思っていた。

行き止まりだった。

めちゃめちゃ狭かった。


正確には行き止まりに感じたが、少しずつならもう少し進めそうだった。


体の半分くらいが穴にはまって動かせない状態になってしまった。

壁が救い上げてくれるタイミングで戻ろうかと考えた。

しかし、壁は救い上げるどころか、どんどんと奥へと押し出そうとしてくる。


戻るのは至難の業だと思った。

しばらくの間どうするか考えた。

もしかしたら全力で、時間をかければ戻れたかもしれない。

それでも、戻ることをあきらめて進むことを決意した。



今までとは逆で壁が押し出す力に合わせて動けば先に進めそうだった。

壁とタイミングを合わせると進むことができた。

すると今度は、ほぼ全身が穴にはまって動けなくなってしまった。


これでとうとう戻ることも、進むこともできなくなってしまった。


狭くてものすごく居心地が悪かった。


自分ではほとんど何もできない状態になってしまったが、壁はそれでも押し出そうとしてくる。

それに合わせて体を動かすと、たまにほんの少し進んでる気がした。

これを何度も何度も続けていた。


この時いろんなことを考えた。


これまで吸い込まれた時には、寝て起きたら元の位置に戻っていたことがあったのを思いだした。

だから寝てみた。

もの凄く居心地が悪く、寝にくかった。

起きたらさっきとまったく同じ状態だった。

今回のは夢でもなんでもなく、現実だった。


<居心地が悪い>

すごく後悔した。

<あのままもとの位置にとどまっていれば、こんなことにはなっていなかったのに>
と・・・・・。


少し前までは何もすることが無いことを退屈に感じていた。

それも受け入れさえすれば特に不満はなかった。

むしろ居心地は悪くないとさえ思うことができた。


壁が迫ってきて、自分という存在が消えてしまうという不安と恐怖を覚えたこともあった。

それも自分の力が壁を押し返すほどの力をつけたことにより、いつの間にか解決していた。


このまま永遠にいつまでも続いていくのかな、と想像もしていた。


しかし今、押しつぶされる感覚に襲われている。

やはりこうして自分は押しつぶされてしまうのではないかと、不安と恐怖と戦っていた。

<押しつぶされるとどうなる?>

そう考えていた。

考える力は以前にも増してついていた。

それでも自分がどうしてここに居るのか、そしてこの先どうなるのかはわからなかった。


それでもいっぱい考えた。

生きるとか死ぬとかいう概念はなかった。

言葉にするとすれば、始まるとか終わるみたいな感覚の方が近い。


<もしかしたらつぶされると終るのかもしれない>と思った。

<終わるとどうなるのだろう?>

<今の自分が終わるだけ?>

<自分がいるのは始まったからなのだから、また何かが始まる?>

<また始まるとしても、始まる以前のことを自分は全く覚えていないということは、今いる自分のことはもう思いだせない?>

<今まで考えたことや感じたこと、それも一緒に終わる?>

<何も残らない?>

<もう始まらないこともある?>

<始まっても始まらなくても、今の自分はもういなくなるよね・・・・・>


こんなことを考え出していた。

とても不安で悲しくて、辛くて。

でも仕方がないと思った。


苦しいながら、何度も寝ては起きてを繰り返していた。

起きているときは少しずつでも進めるよう意識していた。



寝ていたのか、気を失っていたのか・・・・・。

気がついたときには生まれていた。



はじめは、何がどうなっているのか全くわからなかった。


さっきまで終わると思っていたことを覚えていた。


何もかもが今までと違いすぎていた。


音や光、空気、温度、壁のない世界。


他の何者かがいる世界。


だからまた何かが始まったと思った。




すぐに違和感を感じた。

前回は始まる前の記憶が一切なかったのに、今はそれがあることに気づいた。


<もしかしたら終わったのではなく、続いているのでは?>

<前回も始まったときは覚えていて、でも忘れてしまっていたのかも>

<だから今回もすぐに忘れてしまうのかも知れない>

<忘れたくない>


などと考えていた。

しかし、目の前の新しい世界を理解しないといけないという焦りも同時に存在していた。


過去のことを考えている余裕などなかった。


だから続いているということにした。


忘れたくないと思った。



新しい世界には新しいことだらけだった。

例えるなら、朝起きたら水の中で目覚めたような感覚だ。

この表現はかなり近いと思う。

今まで羊水の中にいた者が、空気の世界に来たのだから。


たくさんのことがありすぎて覚えていない部分もあるだろう。


音がどの方向から聞こえるのかがわかった。

息をしているのがわかった。

温度を感じた。

肌で空気の世界の感触を感じた。

自分は泣いていた。

自分は動いていた。

目で見える世界はジェットコースターで回転しているかのようだった。

口で呼吸していた。

鼻でも呼吸していた。

口と鼻の存在理由の違いがわからなかった。

この世界で生きていけるように自分の体がつくられていると感じた。


もし前の世界からの続きだとしたら、思ってた以上に体が動かせなかったと感じた。

というより、体が勝手に動いていて、自分の意志で動かせなかった。


<もしかしたら、もう少し長く前の世界にとどまって、もっと強くなってからこの世界に来なければいけなかったのでは?>

<このままでは、せっかく続いたこの世界で終わってしまうかもしれない>そう心配に思っていた。


この世界でどうやって生き延びるかを必死で考えていた。


この時点で生まれてから数秒、長くても数分だと思っている。


その時突然、猛烈な空腹に襲われた。

例えるなら、あと数時間何も口にしないと命に係わるほどの、数週間水しか口にしていないほどの空腹感に襲われた。

生まれてすぐの赤ちゃんを数時間放置すれば、おそらく命は尽きると思われるのでこの表現も遠からずと思う。


前の世界で終わりを覚悟していたが、新しい世界は始まった。

だけど、すぐに終わりがやってきたと思った。


何もわからない、なんの力もない自分にはどうしようもなかった。

<また終わって始まるのかな?>

<次も覚えてたらいいな>

と、絶望の中思っていた。


自分でも驚くほどの声で体は勝手に泣いていた。

全身が、魂が、生命が全力で泣いるようだった。


その時、無理やり口に何かを突っ込まれる感覚があった。

もちろん食べる、飲むなどという概念はまだない。

するとゴクゴクと何かを飲み始めた。

不思議な感覚だった。

何をしているのかわからなかったが、体が勝手にそうしていた。


すると、さっきまでの絶望的な空腹感がみるみるうちになくなっていった。

まわりにいる何者かが助けてくれているのがわかった。

まるで以前の世界で何度も助けてくれた壁のようだった。

この世界でも全く違う何かが、似たようにつくられているのかと思った。


初めてのことだらけだった。

不安で怖くて、何が何だかわからなかった。


あくびもした。

げっぷもした。

くしゃみもした。

特にくしゃみは初めてのときは恐ろしかった。

我慢しようとしたが、我慢できなかった。

びっくりしたが、なんてことなかった。

あくびとげっぷはすぐに慣れた。


空腹が収まり少し余裕が出来てこの世界を再び理解しようとした。

すると、すぐに強烈な眠気に襲われた。

まだ何もわからない、何もできない今、寝てしまうと終るかもしれないと思って堪えたが、寝た。


起きたら、先ほど感じた絶望的な空腹感に襲われた。

世界の終わりを感じた。

でもすぐにまた口に何かを突っ込まれた。

そしてそれを飲んだ。

空腹と絶望が和らいでまた寝た。

また起きて絶望の空腹感に襲われてを何度も繰り返した。


たくさんの何者かに助けられたことはわかった。

その中でなぜか母だけは特別だと初めから感じ取れた。

抱かれたときにすぐに認識できた。


考える力も体の強さも、おなかの中にいた時よりも成長しているはずなのだが生まれてすぐのころはそれが感じられなかった。

目覚めているときは考えることが出来ていたはずなのだが、空腹感に支配されて考えることが出来なかった。

おなかの中にいた時は自分の意志で体を動かせたはずなのだが、この頃は体が勝手に動いてしまって自分では動かせなかった。


しかし、徐々に変化しているのがわかった。

空腹になりにくくなっているのがわかった。

体の中心、背骨に近いところから徐々に意識的に体が動かせるようになってきているのがわかった。


目がさめてもしばらくは空腹感に襲われなくなってきていて、その間だけは考えることができた。

この頃はまだおなかの中のことを思いだせた。

同時に、いくつかのことを思いだせなくなっていることにも気づいた。

<やはり以前の世界のことは忘れていってしまうのだろうか>

<以前の世界で、その前のことを思いだせなかったのは、こうして忘れていくからなのかな>
と思った。


時間が経つにつれて、太ももの付け根や、腕の付け根らへんを意識的に動かせるようになっていると感じた。

しかし、相変わらずすぐに空腹感がやってくるので考えられる時間は長くはない。


おなかの中で、自分はどんな姿をしているのかを想像したことがある。

しかし、どんな想像をしていたのかは残念ながらほとんど覚えていない。

ただ想像とは全く違っていたということだけは覚えている。


この世の中に存在していたものはすべて想像をはるかに超えて複雑なものだったという感覚だけは確かに残っている。


この世界を動く人間を見ていた。

手があり、足があり、顔があり、体があった。

自らの意志で動いていると思えた。

想像していた自分の姿とは似ても似つかない存在だった。


だが、時おり見える自分の手や足、それらが似ていると思った。

だから自分の姿はあれと同じなのではないかと想像しなおした。


他の人たちと比べて自分の体は小さく、自らの意志ではほとんど動かせない。

そんな自分のことを、
<もしかしたら失敗作かもしれない>

<以前の世界でもっと長くとどまっていれば皆と同じく、もっと大きく、自由に動けたのかもしれない>
と思った。


それ以外の可能性についても考えた。

それは、この世界に来てからもどんどん強くなっている気がしていたので、

<この世界でも強く、大きくなっていけるのではないか?>

そうとも考えていた。

<そしていつか大人になれるのではないか>

そう信じたいと思っていた。


そうして僕はこの世界を生き抜いて、たくさんの経験して、景色を見て、出会いを重ねてきた。
それは今でも続いている。

おなかの中どころか、日本があった。

日本どころか、地球があった。

地球どころか、宇宙があった。

宇宙どころか、その先はまだ誰もわからないほどに続いている。


世界は壁なんてなかった!

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