理由があること、ないこと。
街にはたくさんの「デザイン」が溢れている。
誰かが働くそのビルも、
誰かが腰をかけるそのベンチも、
誰かが洋服と出会うそのお店も。
街に立ち並ぶビルやお店、
木の下に佇むそのベンチ。
それらのものは、
人が人のために生み出したものたちだから。
街にはたくさんの「デザイン」が溢れている。
デザインは何かの問題を解決するための行為だから。
解決すべき問題があるからこそ、
デザインは必要で、なくならない。
デザインには、理由がある。
カタチを生み出すためには、
理由が必要だから。
街にはたくさんの「理由」が溢れている。
誰かが働くそのビルも、
誰かが腰をかけるそのベンチも、
誰かが洋服と出会うそのお店も。
そこに生み出された理由がある。
理由があることが善であるこの世界は、
理由のないものたちを切り捨てようとする。
理由のないものたちは、隅へ隅へと追いやられ、
影に隠され、あたかもないものであるかのように。
街にはたくさんの「理由」が溢れている。
人によって生み出された「理由のあるもの」たちが、
人の手によって理由を失い、そうじゃない価値を見出す。
足を失ったカラーコーンも、
今か今かと出番を待ちわびる車止めも、
断面をむき出しにしながらも、そこに居続ける鉄パイプも。
人によって生み出され、
人によって理由を与えられ、
さらには、
人によって理由を奪われたそのものたちは、
それでもカタチを持って、
そこで生き続けている。
ぼくにはそのものたちの姿が、
美しく見える。
かっこよく見える。
輝いて見える。
人の求める「機能」から解放されたそのものたちは、
人から解放され、自由を手に入れたそのものたちは、
何を思って今、生きているんだろう。
その姿は、人に対して何を示してくれるんだろう。
今の日本の社会が抱える問題に対して、
どんな答えを示してくれるんだろう。
街にはたくさんの「理由のないもの」が溢れている。
理由のない、そのものたちは、
人にとっての空白であり、
無駄でもあり、余韻でもある。
理由のないそのものたちは、
人間の本来の姿そのもののようにも見える。
その姿からは、心のゆとりを得られ、
何かの縛りから解放される瞬間を感じ、
理由のないことが許されているようにも感じた。
人。
人に与えられた意味とはなんだろう。
理由や意味を求めすぎることは、
本当に善なのだろうか。
理由や意味を求めすぎることは、
無意識のうちの暴力になってはいないだろうか。
傷ついている誰かがいるかもしれない。
傷ついている何かがあるかもしれない。
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