エッセイ【だいじだから、ちゃんとだいじにして】
20代の頃、自分を「大事にする」ということがまったくわからない時期があった。なぜあんなにも自分の心と身体を傷つけるような日々を送ってしまったのだろう。自分のことを大事に大切にすることができるようになって、
振り返って当時の自分の壊れ具合を思い返すと、ちょっと具合が悪くなる。
子どもの頃、そして大人になってから、と、はっきり記憶にある限りでは
2回、母に大切にされたくて、大事だよと愛情を示して欲しくて、愛されている実感が欲しくて、抱きしめて欲しくて、近寄って、突き飛ばされたことがある。いや、たぶん、私の記憶間違いだ。母は私を突き飛ばしてはいない。きっと、ちょっと私を押しやって、自分に抱きつかれないようにしただけだ。でも、私の心の奥のなにかは確実に音をたてて壊れた。
私が親にとっての大問題を起こした時、「あんなに自分を大事にしなさいと言って育ててきたのに」と言われた。
は?自分を大事にしなさい?初めて聞いた言葉だと思いつつ、ただ黙ってうつむいた。大事にしてくれなきゃ、大事にする方法なんてわかるわけないじゃない。
「あなたは、与えても与えても愛を欲しがる子だ」と迷惑そうに言われた。だって、愛されている気がしないのだもの。そう思いながら肩が震えた。
ただただ、考えることも感じることもしたくないと、心の扉をバタンと閉めて、もう二度と親には期待したらいけない。そう自分に言い聞かせた日を忘れることはない。
子どもの頃に、親から大事にされて愛されている実感を得ることで、自分を粗末に扱わないで、大切にすることができるようになるのではないか。そして、自分を大事に大切にできるからこそ、自分以外の人のことも大切にできるようになるのではないか。
壊れかけていた私を大切に大事に扱ってくれる人に出会ったことで、私は
本当の意味で自分をちゃんと大切にすることができるようになった。
このせかいにうまれたこと。それだけで、どんなにすごいことなのか。
じぶんも、みんなも、だいじ。だいじだよ。
だいじだから、ちゃんとだいじにして。
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