クローゼットから思い出が溢れ出た
最近実家の大掃除を始めました。
家がゴミ屋敷化してると
姉が電話口で騒いでいたからです。
現在は高齢の両親の二人暮らし
ギンギラの太陽光を一身に受けジャングル化した庭の植物が、ゴミと家と両親もろとも飲み込もうとしていました。
玄関には3つも燕の巣があり、ツバメがひっきりなしに行き来してて大忙しです。キッチンではどこかを目指して、蟻が行列を作っています。大きな冷蔵庫は何故か外にあり、家と外界の境界はとても曖昧です。
私の記憶では昔からゴミ屋敷と紙一重だった我が生家。いまさら何を?と思いながらも、いつかはやらなきゃいけないことだと自分を奮い立たせ、元自分の部屋の整理から始めました。
大きなクローゼットを10年ぶりに開いて、カビくさい虫食いだらけの服たちを捨てます。もう二度と身につけることのない服たちと服になることなくそこに眠っていた生地たちを、ただ無心になってゴミ袋に放り込みます。
10代後半から20代前半までの凝縮した時間が、あの頃のまま真空パックされたみたいな空間。少しでも立ち止まったら引きずり込まれそうな濃密な何かが確かにあって、胃の辺りがずっしり重たくなるような感じがしました。
服には思い出が宿る。
それは音楽や香りや場所と同様に心を大きく揺さぶるものだ。
きっと、そうなのでしょうね。
でもそんな感傷に浸る前に、若かりし私にひとつ、言いたいことがある。
それにしても多過ぎやしませんか?と。
無駄な消費が過ぎるぞと。
ゴミ袋10枚分の思い出
それは
若気の至り
情熱と欲望
好奇心と無関心
何者かへの渇望
独りよがりな孤独
だ。
そして
過去への憧憬と恥
大きく失ったもの
今あるもの
少し大人になった自分
熟慮と知足
に
気づかせる。
いろいろな感情が渾然一体となって過去と現在を駆け巡る🏃♀️
溜め息混じりのありがとうと共に
いま私の心に残るのは
大きな罪悪感と小さな希望
それだけです。