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弾誓寺蔵 木造観音菩薩立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

佐々木守俊 

1軀 漆箔 像高162.0㎝ 
長野県大町市 弾誓寺

 本像は大町市弾誓寺観音堂の本尊で、ケヤキとみられる広葉樹の一木造である。後世に宝髻を切除し、面部を割り放して玉眼を嵌入するほか、面部や体部に彫り直しが認められる。沓を履く作例は、地蔵菩薩以外の菩薩像ではきわめて珍しい。両耳上の巻髪、強く側方に反る板状の耳朶、怒らせた両肩、強く絞った腰と丸く突き出した腹、動きのある深い衣文表現などの特徴は、長野市松代町・清水寺観音菩薩立像と類似する。 
 浅井和春氏は岡山・安住院伝聖観音菩薩立像と同・大賀島寺千手観音菩薩立像の長く垂れる条帛について、中国南北朝時代の麦積山石窟の菩薩立像にみられる絡腋との類似を指摘し、類例のひとつとして本像を挙げる。いっぽう、清水寺像と東京・金剛寺菩薩立像(長野市松代町・開善寺旧蔵)も、長く垂れる条帛を背面にあらわす。備前と同様に信濃でも、長く垂れる条帛が菩薩像の着衣の「型」として共有されていたと推測される。
 本像の条帛と沓を履く形状、面貌には中国風が指摘されている。仁王経五方諸尊図には幅広の長い条帛がみられ、本像への唐本図像の関与を思わせる。兵庫・中山寺十一面観音菩薩立像は肉どりがより曲線的だが、異国的な癖のある顔立ちとともに、小さめの頭部、強く張る頬、両耳上の巻髪、控えめな横幅に比して肉づきのよい脚部、立体的な衣文線は本像と通じ、地域差を超えた唐風受容の類例とみなされる。
 本像の目鼻立ちが丸顔の中央に集中する表現は、貞観元年(859)ころの京都・安祥寺五智如来坐像などとの共通性が認められる。この系統の面貌表現は9世紀末まで継承されるが、本像の着衣表現の初発性は、造立年代が大きく下降しないことをものがたる。清水寺像を9世紀末~10世紀初頭の造立とすれば、本像の造立は貞観~元慶年間(859-885)ころと考えられる。
 大町は糸魚川と松本を結ぶ千国街道が走る交通の要地だった。この立地は、先取性に富む本像の成立環境にふさわしい。


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